テキスト1982
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菊十枝十七輪花器煤竹寸向江戸時代の終り頃の菊の生花の絵を見ると、官ハ(横に、或いは垂れ下がるようにいけられた菊でも、花は勿論、葉までちゃんと上を向き、どんなに復雑な形でも出生の姿を崩していない。おそらく花の咲く前から形をつけておいた菊だろう。折れやすい菊を好みの形に、自在にいけたいなら、自分でそのような形の鏑を白分で育てる以外、他に方法はない。農家の庭先に育つに任せたような菊が咲いていて、形良く校の曲がっているものを見かけることもあるが、水揚げはよくない。自分の家の庭の花は中々切る気になれないものだが、まして’円分で育てた菊なら、乙の円の為に、という乙とでないと切っていける訳にはいかないだろう。形良く曲がって育った一木の菊は大切にいけられたに違いない。どの絵を見ても実に丹念に、丁寧にいけられている。変化のある花型も自然に見える。中には少し形をつけ過ぎてわざとらしいものもあるが、花、葉の向きは狂っていない。現代の都市の暮らしの中で、花屋の花をあてにしていける菊の生花では、そんな絵のような花はいけられはしないが、それなら、それなりK花屋の花を素直に生かして使いたいと願う。去年の九月号、一昨年の十月号にも菊の生花を掲放している。今回は十一本の二輪咲きの菊十一枝、十七輸をいけてみた。亘。7

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