テキスト1982
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花器濃紺深鉢たο乙のリュカレンドロン・ピンクるοアフリカやオーストラリアで切花という命の短いものも、輸送時間の航宅機による極端な短縮化、通信技術の発注によって適確な連絡が行きとどくようになって、日本という世界の片隅にまで、地球上のあらゆる北がとり寄せられるようになっタムという花も、それ程珍しい花とも思われなくなっている。京都で乙の花をいけた相Hに倉敷のレストランに飾られていたりもすられた花だとばかり思っていた花がいつの間にか日本内地で栽培されている乙ともあるο反対に、普通に花屋の店先に並べられているガーベラが、イスラエル産、だと聞いて、びっくりするο珍しい花を手にした時は、早速子古川の植物図鑑を持ち出して、その花の生育状況を調べてみるが、生育地の風呆の巾に咲いている写真があったような時には、あれ乙れ想像して、ま乙とに心深しいものである。実物を知らない花で、一度何としてでも現地で見たい花は、ヒマラヤの青い罷粟(けし)である。朝日百科の世界の植物の中に、ネパールの一向地の川岸で撮られた写真があるが、税の中の夢幻といった感じである。輸入される花毎月先代がいけ花の写真をとり原稿を書き、刷り上がったテキストの出来具合を眺めているのを見て、よく続くなあ、と感心していたが、十月で創刊二十年を迎えた。先代はよく私に「私は自分の考えてる事を活字にするのが好きでなあ:::」と話していた。だからこのテキスト二十年の前に、昭和十一年一月創刊の「龍胎(りんどう)」があり、戦争で中断して戦後には「挿花春秋」となり、昭昭三十七年から現在の「テキスト」に変身して来た。戦中、戦後の物のない混乱期を除いてテキストに矧するものの発行はずっと続いている。「龍加」の創刊の頃は先代も未だ宗慶を名来っていたが表紙に’円作の立花のスケッチを、若々しいタッチで柿き上げている。創刊の年の二月号には、松、梅、柳、水仙、椿の立花をスケッチしたものを表紙にしているが、父の立花の絵としては一番好きなものである。「龍脂」以来流誌として特筆すべきととは、原稿、いけ花は勿論、レイアウトから挿絵まで、殆ど家元一人でやっていると乙ろであろう。私も時々はテキストの花をいけされられもしたし、原稿をテキスト初年リュカレンドロンと桐4 !/

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