テキスト1982
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蟹が危の上に乗ってるような、いけ花である。いけている時には意識していなかったのだが、写真になって、初めて気がついたυ可愛いいけ花だと思う。花器に用いたのは、オセアニア(南太平洋の島々)各地で用いられている木山であるυオセアニアの木肌の中でもメラ、不シアとニューギニアのものは把手に人而や動物の盗をした飾りがついていて、底部にも文織が彫刻されているのが特徴だそうであるυとの木川は維な制一Jだが、ニュlカレドニアの博物館一には、カヌlの船首飾りや神像にも随分精巧な物が陳列されているοネリ、不には様々な色があり、切花として量産されるし、秋には鉢植も売られているようであるυ可憐な花ではあるが、巾々丈夫で一週間近く咲き続けてくれるυ花屋で見かけたら、三本か五本も買えば充分業しめる花であるοとりあわせは小品ならカラジュlム等小型のあっさりした葉だけでよい。此頃は栽培技術が発達した為に花にも李節感が薄らいで来たと言われるが、それでも季節が米ないと、お目にかかれない花の方が多い。秋にはとくにそんなものが多い。稽古の北だけではなく、よその庭に咲く北、郊外の雑平もよく見て、党えておいてほしい。モンス一ア−フカlクリコネリ、不花器|l木彫水雄であろが冥の花型、草の花型においても、乙の三枝の花型を原型として変化させたものである。挿す木数がふえても、それらは真副留の三枝をひき立たせる役目をする枝であると考えてよい。乙の三枝の構成がしっかり頭に入れば、草の型でいくら本数がふえても型が崩れる乙とはあり得ない。又去、草の花型をいけるにしても、行の基本になる三枝の構成が分かっていれば、いずれをいけても型外れな、生花か投入れか判別のつき難いものにはならない。くの字形の真、真と副の分かれ目の高さ、副の枝先の高さ、留の山し円、長さ等一目で分かる構成になっているο又挿し方についても至極合理的に出来ていて、各校の分かれ口まで癖をとって真直にしておけば水際は自然に一本にまとまるのである。いわば基礎工事のようなものである。足下をととのえておけば上の姿は自由自在に形どれるυだから生花に対する誤解の原因は、構成すべき型への無理解と手抜き工事によるものと言ってよいと思う。生花は唱にはめていけるものであるが故に、その自然な生育状態の特徴をうまくとらえていけ上げなければならない。盛花、投入れよりも、それはきびしく言われるが、構成の原則の範囲内の乙ととしてである。自分で手にして自然に感じとれるものもあり、或いは葉組物のように、永いいけ花の歴史の巾でこの花は、乙ういう成育状態を示すということが、経験的に示されているのが、生花の約点事である。植物もただ無秩序に生長するものではなく、規則正しい形で大きくなる。だからそれぞれの特徴も注意して見ればよく分かるものであり、又それが植物K親しむことなのである。歴代の観察記録がその流儀の伝拝と言ってよい。系統立てて理解出来るよう工夫されていて中々面白いものである。ネリネと木皿3

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