テキスト1982
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(にゅうさいらん)花器黄土色粕花瓶昔、父について生花を習っていた頃、新西闘をいけさせられたが剣山ならまだしも筒生けはやりにくいものである。色んないけ花全集を見ても生花としてはそれ程魅力のある花材ではないとされている。葉閣のように茎があれば葉の向きを自由に変えられるのだが、切口が、くの字形になる新西聞の葉面は先にいれた葉にそってしまうし、くの字形の片側が少し押されるだけで形が変ってしまう。まず副をいれ次の胴、副の沈みまでは楽なのだが胴の沈みあたりからいけにくくなる。上から株もとのあいた所の形をよく見定め、その形にそった切口にして次の葉を挿す。水際は胴の葉一枚半位の幅に仕上げるには葉の空き間を充分利用して七枚の葉の下部はきっちり鰐着させる。そうしておけば留側に菊をいれでも、もうそれ程形が変らない。菊は固く小さい菅を総囲に一本。留、留の沈み、控花開花を用いた。乙の新西蘭は赤銅色のペフルムという和類で、白い縞の新西蘭より長さも幅も大きい。赤銅色の葉面は鈍い光沢があって柔らかな感触である。今月の生花二瓶のうちでは、乙の新西闘の方が気に入っている。手にした葉の感触も出ているようだし、反り具合もその役、その役によく生かされている。或いは父に生花を仕込まれていた頃を楽しく想い出し乍らいけていたせいで、何となく乙の生花がよく見えたのかも知れない。父に生花を教え乙まれていた時分には余り悪い批評は受けた記憶がない。父は研修会の時には私の生花の批評という乙とを口実に、約束事に対する心得ゃ、作意のあり方、技巧の上手下手について随分厳しく言いたい事を言っていたようである。中々上手になれない生花を何とか教え乙みたいと、根気よく粘っていた父は人前でしか私を叱れなかったようである。新西関7 菊

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