テキスト1981
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いけている乙とが多いが桧扇の茎は大変硬いので、いい加減な留め方で桧一周は祇園祭に生花としていけられているが、その来歴は知らない。良質の桧一崩は生花としていけやすく、花も次々と咲いてくれて、祭りの期間中いけかえる手間もかからないので、好んでいけられているυ形がとりやすいので簡単に剣山ではすぐに倒れてしまう。実際今年も方々のショーウインドーや店先に飾られている桧一局がバラバラになって倒れているのを見たυ剣山でいけたのでは、いけるのは簡単だろうが、後で手聞がかかるのであるυ後で手聞がかかるということは花が傷みやすいという乙とである。乙の桧一周は蛇の目(鉛の筒輪)に配り木をかけていけている。花は五本。下葉をとり、真、副、胴、問、控の五体であるυ真、副、控は下葉をとったのをそのまま挿すが、前必方に入る刷と留には、胴に一枚、留には二枚、水際に業をそえて、下葉をとり去った茎を囲っている。葉をむしりとった茎が見えていると生花の優美さが損なわれるように思う。花生扇桧ひき立ててくれる。素麺や冷奴だけで一夏送れないのと同じように栄養になるようないけばなもいけていただきたい。中京、黒町界限もビル街に変りつつあるが、他の都市のビルディングと全く追っているのは内部が総て畳敷というととである。呉服問屋という仕事の必要上からそうなったのであろうが実Kユニーク(独特、無類)なものである。京都でしか普及し得ない建築様式であろう。外観は今でζそ、欧米並みの近代感のあるものしか見られないが、内部が畳敷に限られるという必然性があるなら、外観も、もっと追ったものに発展して行くに違いない。日本趣味というものも、元来はとの閏の風土にあわせて生きて行く必然なものとして生まれた筈のものである。着物というものが、将来も私達に必要なものであるならば、着物を扱う室町の呉服問屋さんの店構えも、もっと独特な良さ、格子の奥で向売をしていた時とはもっと追った、円本の風土にしっかり根のついた美しさを持った街に生まれ変るK追いない。京都の街も千年の問には大きな変貌を遂げているのである。私達が今日本趣味と信じている色々なことも、或はとと百年位の問に何となくそうなったものであるのかも知れない。取留もない暑中の雑感である。桧扇器花褐色横長深鉢7

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