テキスト1981
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かも野生に近いにもかかわらず葉も花も端正な姿をしている。暑さに動じる所なく咲く風格は市武士を忠わせる。荒く組んで、草の心持でいけるのが普通であるが、手にした花葉の端正さは乱れたいけ上りを許さないようζの杜若は四季咲種のもので、し夏の杜若は花を高く、葉組はややに思えたυだから其の感じをもたせた行の型にいけている。花は其、刷、刷、留υ実は見越にいれている。葉は真、見越の三枚は装葉組、副と副の沈みを二組、真囲、胴と胴の沈み、留と留の沈み、控の十一の葉机を作っている。一般的には業組の数の多い時は剣山か七宝でいければよいが、乙の作るοその場AHは葉組は全部作り上げ例のような花瓶には配り木を用いておき前の方から留、嗣と配り木にかけて行く。途中でやり直しのないよう各葉組をきっちり揃えておくυ花器は古い立花瓶でこの杜若にはよく調子があう。黒塗の正方形の敷板にのせて床の間に飾ってみたが、掛軸は害がよくあうようであるu薬組,十一)生実,一栴雨の上がる頃中京の街々は、御祭りに明け暮れるuそして御祭りの後、ぃ虚脱したような街の作いが、けだるい暑さに包まれて行く。ついこの間までは道に打水をして床机を出し夕涼みする位の所で夏を過ごしていたように思うが、それももう随分以前のことらしいし格子の奥には音戸が入り、夏の夜は奥深い京都の家も中庭まで垣間(かいま)見えたものだが、考えて見れば、むし暑い上に家の奥まで見通しになってしまう中京の住人にとってみれば、いまいましい季節であったに違いない。私の山本でも夏は夏らしく、萱戸をいれて簾を吊って風情を出したいのだが、どうしても周囲の暑気には負けてしまう。とは言うものの、見た目の涼感というものは大切なものである。気持のいら立ちゃすい互の暮らしはルームクーラーだけで気分よく過ごせるものではない。夏の部屋は広々と使いたい。余計なものはしまいこんで、風通しのよさそうな感じが欲しい。静かな感じの花をいけておくのもいい。涼しそうである。反対K向日葵のような強烈な感じの花も気持を」aぎ尽号の夏杜若(花,四杜若花器花青銅花瓶中主6

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