テキスト1981
93/156

見ると抹香くさくない。蓮のいけ花、というより英語のロlタスのいけ花といった方が良いようである。から神聖視されて来た花である。エジプトのロlタスとよばれるものはガラス器に蓮をとんな風にいけて蓮は宗教的なシンボルとして古代睡蓮ではあるがその模様の描き方はインドにも影響しているようである。だが蓮に象徴される内容の豊富なのは仏教である。仏教国の日本人が蓮を抹香くさい花と感じるのは致し方ないとしても仏教以前の白木や中国ではただ美しさが崇敬されていただけのようである。とくに中国では美人の象徴であった。仏教説話の拡大浸透が蓮の花を不当に抹香くさく感じさせているように思える。蓮の花を仏さんの花と思っている人が多いので、えておきたいととである。特に書哨己そ蓮桔るο又どうしても崩れ落ちるような自然を極力避けた何かを作り出そうとする所にかえって人聞のひたむきな一面が感じられ、親しみが持てる。民芸品のように中途半端な所で技巧を捨てていない所が好きなのである。ガラスの魅力の一つにはその華麗さの中にひそむ脆さにもある。精巧に作られたガラス細工、或いは大きくガラスの宮殿。精巧に作られていればいるほど、どこか一点突かれるだけで、カラカラと音をたてて崩れ去るに違いない。極端なまでも繊細な美しさを感じさせてくれる。いけ花でそれを感じる時もある。色彩構成の上で余計な色が入った為そのいけ花が音もなく崩れ落ちて行くような気持を何度も味わっ花に何か一っきっちりそこにあてはまる色が見つかったお蔭で全体がしっかりと構成し直すととが出来たりもする。大体の所で何とかなっている花しかいけられないことが多いが、そんな花をほめられたりした時はどうにも具合が悪く、困惑してしまう。花をいけるという乙とは自然との一体感を味わうことなのだろうが、そ乙へ行きつくまでには、ボヘミアンカットの工人のように辛抱強く手先を見つめる努力が必要であろう。あせらず自分の思っているものを実現して行きたいものである。てい梗器否否花ボヘミアングラス5 イ~

元のページ  ../index.html#93

このブックを見る