テキスト1981
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校ぷりのままにいけた、ぼけと白椿の生花。歳末の花屋では梅は大事にされているが、木爪(ぼけ)は語感から敬遠されるのか、案外良い枝ぷりがおき忘れている乙とがある。木爪は梅の日然さはないが界れから新春の花としては梅より親しみというのか、花びらも厚く親しみゃすい花である。それにお正月用にと苔を糊ではりつけた梅をいけるよりも、木爪の自然な枝の方が、どれだけ良いか知れない。又、本物の苔のまわった値の高い苔梅の中でも生花に向いた枝は数少ない。お正月にはいつもの花より少し大きな、手のこんだ花をいけることが多いが、要領よく乙の花をいけておくのも良いものである。ぼけは真、副、胴の三木、留と控に白玉椿を二木、計五木だけいけた。お生花というのは立花の市一厚さに対して、佐川川さが魅力である。余分を省略し最後に残るのが、真、副、習の三岐にまでなってしまう。あいまいなものを残さず、しかもうるおいのある花。生花のむつかしさである。ぺlジの二作のような小型の生みどり松三木に水仙二本。真、副、胴、留、控の五本だけの簡単な生花。お生花もある程度稽古が進んだら楽にいけられる花である。乙のぺlジの二杯は正直に基本的な「行」の型にいけただけの生花で、一品さは木瓜の方が少し高いが量感としては同じ位のものである。だから留と控の椿と水仙はどちらの花にもそのまま・つつしかえるととが出来る。ロH刀の旧日に両方いけたが一月の四日現在両者とも根じめの水仙と椿を移しかえて未だに生き生きしている。お正月の岩松としては正式には青竹に七本をいけて水引をかけるが、場所によって、或は自分の是非使ってみたい花器があればこんな松を飾っておくのも楽しいものである。

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