テキスト1981
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地下鉄の開通を祝って六月六日から十二日迄、京都駅地下街のポルタで、京都華道家協議会主催で表記のいけばな展を開いた。会の構成員は西阪専慶氏、長谷川喜洲氏、松本司頒氏と私の四名で、昨秋近鉄百貨店で催した、現代華と陶展も私達四人が中心になって進めたものである。KYOTO NOW て、地下鉄開通の御祝を意味して会回目で、それぞれが得意とする花を好きなようにいけている。場を赤と白で構成している。て、その前に卯佃巾の白いパ、不ルに棚をつけたもの4枚を、背景から離して置き、奥行きの変化をつけて、与えられた花席を一つの器と考えて構成している。今回は四人だけの会としては第一各席の間口は7m、奥行2mあっ私の花席は背景に真紅の壁面を立だからこの席では何点かの中小作を並べても大作一点と変りなく見られるのである。中央に竜舌蘭の大きな生のである。の花茎を三本立て、同系花器の中に砂利をいれ、その上に種のカクタス・カゲンベの剣山をのせて、自由に型造れるよう枯実を副えている。黒立て、折鶴蘭は一鉢買った中のvn切い土にしておいて、グラジオラスを4本管状の花器を使った。りとって、三枚か二枚ずつ挿してい左端にサンセヴエリアと、った。アリウム・シュlベルテグラジオラスも水気の多い花であィを宇野仁松作の緑色の大り露の滴りそうな感じを下の折鶴闘型コンポートにぎっしりと強い型にいけ、真上の棚に茶色のパラを赤いガラス器にいけたのを配してやわらかみを与えている。竜舌蘭との聞には大きな枯葉と海芋をおいて両方をつなぎ、右にグラジオラスの紫、淡紫、ピンクをもって来て、花席の中での色彩のポイントにした。右端に竹内真三郎作の黒条と茶条の角型の花器を並列してサボテンの枯れたのを立て、棚から沖縄の烏瓜を垂らしてサボテンにかけてみた。乙の展覧会の入場者は二万人を乙えた。乙れは華道京展の入場者数を随分実作から割引かれて御手許にとはるかに上回るものであり場所柄どいたようである。紙面を明るくととはい入う場も者のののう喜ちぶでべもき面成白果いでむつかしいらしい。とあ注文しているので写真も印刷も中々思るっ。たのは若いアベックのジオラスのピンクと、広葉の折鶴闘場合入って見ょうと言い出すのはである。百合科の折鶴蘭属に入る。、十組のうち九組までが男の方だ花器は宇野仁松氏のもので灰色味ったというととである。そしてのある紺で形が変っている。自分の見た感じを熱心に女の子けるいけばなである。いわゆる力作に話している風景が見られたから受ける感銘は大切であるが、こ。別にいけばなを習おうとする気は大きな関心を持っていることがう’珍しい庁い(たたずまい)なので足かがわれる。出品者も自分のスペースを何の制約もなしに全く自由な花をいけているので四人四様の変化が見られ、いけばな展をこれまでに見た乙とのなかった人には特に興味をひいたようである。西阪氏のオブジェはこれまでの同種のものと違って明るさと軽やかさがあり、松本氏は視覚の変化を楽しく見せてくれて私達も得る所が多い。長谷川氏の花はいつも端正であり色の使い方が上品である。私自身の花は生の花を花器にいけて行く乙とで通して行きたいと思っている。との四人の京都華道家協議会も今後多くの企画をかかえており皆様の御声援を乞う次第である。上のうである。宵山の風物として、六角の家にも無地の扉風の前に十点位の花をいけて、見物客に解放してみょうかと思っている。六角の家も明治の初期に建ったので大分老朽化しているが、良い木材を使っているので手を入れれば永く住めるようになっている。父も大分手を入れて自分の住みよいようにして来たが、私達が住むようになっても年中ど乙か直さなくてはならないようである。昨秋は路地の石畳を竹中さんに作っていただいたが、外から見た時、をとめる人も多い。今又東側の塀の杉皮をはりかえ、内玄関の水溜めや窓を作りかえている。昔の良い家が建てかえられ新しいビルになって行く必要性は理解出来るがとの家はこのままで磨きをかけて行きたいと思っている。乙んな家もだんだんと少なくなって行く昨今である。祇園祭を機会に是非御来宅願いた七月十五日と宵山の十六日に開放しておく。宵山の花いけばな表紙の花いて時々花にそえるとよい。もいえる。気に入った鉢を買っておこれからは観葉植物のシーズンといのあるとりあわせといえる。で受けている。初夏向きの、うるおいられる花は家の中にとそ欲しいもの花のように何気なく無心に眺めてはないとは思うが、いけられた花に全体に作意のない自然な感じを受今月号の表紙にといけた花は、グラり分からないのだが、先月号の花は花を扉風の前に飾るのが慣わしのよ写真のせいか印刷のせいかはっき祇園祭には桧扇(ひおうぎ)の生

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