テキスト1981
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カンパ深山南天(みやまなんてん)鉄線ヌ一フ(煤竹寸筒)深山南天は高嶺七竃(タカネナナカマド)、或は深山七竃(ミヤマナナカマド)ともいう。南天のように美しい実が出来るのでそう呼ばれている。七種とは、乙の木は燃えにくく七度竃にいれでもまだ燃えないというので乙の名がある。木で高山帯に生育している。随分以前になるが日下部一如氏と高野山に野生の花を集めに行ったととがあるが、山の登り口の道端に白い蛍袋(ホタル。フクロ)が咲いていたのがこのカンパヌラに似ており、山頂部の林の中に昔は乙の辺に野生の鉄線が沢山あったのだがと、御自分の高野山時代の話しを聞きながら此頂の聞けた所まで来ると乙の深山南天が群生し、笹百合が六月の快晴の澄んだ空気の中で咲いていたのをとの花をいけながら想い出している。五月半ば頃葉が小さい聞は玉子型をしているが生長してくると尖った葉に変形してくる。玉子型をしている頃の方が新緑の深山南天らしくて良い。ただ枝先の新芽を開いたばかりの若葉はしおれやすいので切りとっていけた方がよい。細く軽やかにのびる枝なので、とりあわせる花も淡泊なものが良く初夏向きの花材である。2m位の低には誰もが同感出来ると思う。家元の稽古場に神戸から通って居られる安達さんは結婚前福知山の御宅の近くの山から、笹百合を毎年四、五十本切って持って来て下さったりもした。安達さんも山の花が好きで御自分で撮して来られた白根葵(シラネアオイ)の見事なカラl写真を頂いたこともある。自分で歩いて見た野山の花を写真にとりたいζとも多いが、植物写真も中々むずかしいもののようである。特に写真に興味のある方以外はお務カメラで接写のきくもので充分らしい。明るい絞りで早いシャッターが切れる便利さがある上、持ち運びも楽である。撮って来た花の写真で名前の分からないものも出てくるに違いないが調べるならll日本の花・山と渓谷社||ぐらいで普通野山花自生していて見られる草花は殆ど収録されているοそしてとの本の花はすべて自生地で撮影して来たものなので背景に写っている高山や渓谷、海が美しい。絵を描いて来られれば良いには違いないが、それは家の庭か植物園に限る。ゆっくりと時聞に追われずに彩色も出来る。山の中でそんな事をしていたら日が暮れて帰れなくなってしまう。高望みはしなくていい。多くの花を記録して帰るには、やはり写真が一番のようである。「高野山」を-, !. ~監冨··-~-.. J 9

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