テキスト1981
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しっかりした茎と厚く弾力のある宿根アイリスは、生花に限らずいけていて気持のよい花である。開花を真副胴に、留と控には普をいけている。勢いの良い花であるから小細工は加えないですむuそして竹筒や和風の水盤向きの花でもな葉組ー洋花の生花|の応用ぃ。別に上等でもないパキスタンの花瓶である。もなかったという女の人が杜若の生花を見て「モダンないけばなですね」といわれた乙とがある。私自身もいけばなをはじめて感じたのは生花の無駄のないモダンきである。特K一種いけの古典的なものにそれを感じている。生花で洋花を使ってそんな感じが出るかと言えば、反対に野暮いけばなを全然習った乙とも興味臭さが先に来る場合が多い。例えていえば生花は男が正装した時のような感じがある。タキシードや黒紋付のようなもので黒と白だけでまとめ上げられた飾りや彩りを省いた時の美しさであろう。一時期窮屈さが嫌われて、とれからはすべてを略装で通せるようになるか、とも思われたが、人の気持の中には、しまりを求める所もあるらしく、色々な式典には、自ら求めて正装して出て来る人が殆どである。もう一つ面白いと思うのは、正装の簡潔な構成の超時代性である。少しずつの移り変りはあるにしてもどの時代にも通用する近代性がその中にかくされている。生花も幾世代かかけて完成された姿をもっており、いつの時代にも通じる簡潔ないけばなである。色々な花を生花にあてはめて考えるζとが出来興味がつきない。つい四、五日前迄庭の石楠花(シャクナゲ)が真紅花美しく咲いていたが、最近の私は野山に出かけて花を見る乙とが少なくなっている。稽古場で野山に出かけた時の花の話しを聞いたり、頂いたお手紙の中にも御自分で見て乙られた花の乙とを書いて下さる方もある。大津の中川慶光さんは「五月四日に高島の黒谷から比良山花登ってきましたが、丁度シャクナゲが美しく咲いていました。そして花はありませんでしたがシュンランもあり、可愛いイカリ草もたくさん咲いていました。毎日あわただしく暮らして居りますと、山に来て高山植物を見ると本当に楽しくなります。テキストも毎号いろいろとくわしく書いていただいていますので、よろ乙んで居ります。六月号の表紙の大山蓮花、二年程前、六月末に立山へ行きました時咲いているのを見ました。新緑の中に白く大きく咲いていて神秘な感じがしました。お花をお稽古してる者はそんな自然花咲いている花を見ると、パスを止めてもらって見に行きたい時が、よくあります」と言って居られるが見たい花の前を通り過ぎる時の気持山で見る花宿根ア(白地(左勝手〉イス紺濃淡模様陶品〉8

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