テキスト1981
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デルフイニュームもいかにも洋画の世界の花のようであるが、ヨーロッパのデルフイニュームに中国原産の大花飛燕草を交雑させて現在のデルフイニュームの元となり更に戦後改良が進んで白、淡青、青、紫、藤色、桃色の花をみるようになった。(注H飛燕草は千鳥草ともいう)乙のデルフイニュームは青と、淡青のものでいけ上げて高さが約lmになる。って、花器は白地に黒のギリシャ陶器を模して作られたものを使っている。色彩上は寒色ばかりで出来た淡彩画のようではあるが、綜欄の濃い緑とデルフイニュームの花の集まりの綜欄(シュロ)の葉を四枚あしら量感から受ける感じは大変強いものである。この椋欄の葉も庭のものであるが庭木を切っていけると先ず新鮮で水場げのよい乙と。又大事忙しているだけに切りとる前によく考えて枝葉をえらぶので失敗が少ないともいえそうである。いけ上りの感じとしては初夏の洋間向きの花といったところであろう。二三日眺めていたが、特に夕暮れ時が美しく見える。近頃の家の中ならダイニング・キッチンがその場所であろう。稽古の時には別にど乙向きの花とは指定しないでいけてもらっているから帰ってから飾る場所は一定にしないでよく考えていただきたい。前一五OO年頃、中国でも紀元前二世紀には燥の武帝が宮殿内に南方や西域の珍しい植物を集めて植えさせているが、いずれも王侯の趣味の域を出ていない。植物園の前身は中世の修道院の薬草園から始まっている。そしてヨーロッパ各国で医学校が開設されるようになると、そこで植物園が作られ薬草や植物の研究をするようになったのが現在の植物園の原型である。ヨーロッパで最も早く医学校が出来たイタリアのサレルノでは二ニO九年薬草園が出来ている。その後パドヴァに一五四二年、ピサに一五四三年に植物園が出来ている。十六世紀中にライデン(オランダ)、ライプツィッヒ(ドイツ)、モンペリエ(フランス)にも続いて植物園が出来た。十七世紀になると日本でも三代将軍家光が江戸K薬園を作らせている。ζれが現在の小石川植物園の前身になっており、映画やテレビでおなじみの「赤髭」先生の小石川養生所はこの薬草圏内にあったそうである。明治になって東大の付属となり、日本で植物園と名付けられた最初のものである。現在世界で最も有名なのはイギリスの王立キュl植物園で十五の大温室と植物に関する博物館も三館あり大英博物館と共にイギリスが世界に誇る資産の一つである。デノレフイニューム椋欄(シュロ)の葉(白地黒花模様花瓶)5

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