テキスト1981
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舟泊utL巧薬(しゃくやく)dし1AくiトH』くト叫刈ヴ。。牡丹につづいて苛薬の生花を掲載したが、乙の生花も下葉をたっぷりつけていけ上げる。苛薬は膏の時と満開の時とでは大きさが極端に違ってくる。ζ乙に使った西洋弓薬は葉の部分よりも花の美しさを見せるように作られた品種である。著から中聞の聞は五本、七本といけたくなるが、満闘を想定していけるなら三本がいい所であ有薬の生花としては立派に育った大輪種もいいだろうが、それは牡丹にゆずって、葉のしまった一重咲きのものをいける方がかえっていいように思う。花屋にも時々赤の品種の少し貧弱にさえ見える苛薬が出るが、有薬の生花にはもってこいの姿をしている。五本必要恕時七本買って二本は葉をとるために惜し気なく使えるのでかえって良い花に仕上がるのである。生花の面白さはその流儀の約束事をきっちりと守って稽古を進めて行く所にある。初期の段階では、その人の個性を無視して厳格に型を守らせ、型から一歩も外へ踏み出させないようにして稽古を続ける。そして、何年かたつ間忙殺しても殺しきれない何物かが残って行く。その辺でようやく木当の伺性が出来て来るのである。はじめから個性などというものがある訳はないのである。あるとすればそれは単なる好みであろう。好みは自分の修行につれてどんどん変って行くものである。見識という言葉があるがそれは修練によって自分の価値判断を高める乙とである。或る程度まで高められた見識が出来ての上でζそ個性というものも生きてくるのである。いけばなを通じて感じとった事、乙れまでに集めた知識の断片をとのテキストに少しずつまとめることが出来たのを有難く思っている。7

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