テキスト1981
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今、Jイキシアの葉がよくないので杜若の葉で形をととのえて、太閤と株分けのようにいけてみた。ブドウの模様のある深いガラス鉢にはガラスの砂をしいている。初夏の花材にはアヤメ科とユリ科の花が多い。アヤメ科の花は何となく水辺を想いおこさせるし、ユリ科の花はやわらかい香気が明け放された部屋を通りぬけて行く。共に暑さを感じはじめる頃にいけたくなる花である。イキシアはアヤメ科としては花の小さな種類で色も強くない。当然本数を多くいける乙とになる。社若の葉は表紙の花の残りである。若々しいグリーンがイキシアのピンクを鮮やかにひきたてる。右側には強い花をもってくるとイキシアの小さな美しきがけしとんでしまうので軽く太薗をいけてみた。色はグリーンとピンクだけ、形も細長いものばかり集めて爽やかさを求めたいけばなである。ガーベラは白、ピンク、赤。カラーは黄で斑点のはいった濃い緑の葉ラスにいけてみた。カラフルな花をうけとめるには無色のガラス器は最適のようである。以前から思っている乙となのだが、花のある部屋と、花のない部屋を5枚。これも無色透明なカットグでは人間の心の動きがどう違って来るか神経科の学者K実験してもらったら注目出来るデータが出るに違いない。とくに仕事場には必要であろう。花のあるのを意識していなくても何か教妙な心の動きの差がある筈である。人聞にとって花は、ごく浅く考えれば装飾の一つに過ぎない。「花より団子」という貧しかった時代もある。豊かな現代はその豊かさを生み出すために人々は昔よりうんと多忙である。だからこそゆとりを花にも求める。そこに単なる装飾をとえた、いけばなが我々にはどうしても欲しいのである。太商工といキシアベラ(カットグラス||チェコスロバキア)カフイA)(ガラス深鉢||西ドイツ)ー・ー力、、' "

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