テキスト1981
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グロリオlサ(たましだ)茶色変り型花瓶グロリオlサも近頃では沢山生産され、時には稽古に使えるぐらいの値で売られているととがある。そんな機会があれば逃がさず使ってみる事であるοとりあわせにぜいたくをいえば無理だがζの例のようK玉しだで充分稽古になる。蔓状の花なのでいけにくいものであるυその上玉しだも中々思う形にまとまらない。三本のグロリオlサと四枚の玉しだでも手早くいける稽古には充分な教材である。乙の種のものはグロリオlサ・スペルパと言い、イヌサフラン属に近いユリ科の花である。インドユリとよぶ人もあり、アジア、アフリカの熱帯が原産。時々赤でなく黄色のグロリオlサも見かける。とのような蔓状の花は一つとして同じ形に成長しているのがない。稽古の時でも隣の人のいけたのが形が好きだからといって同じ形をねらって無理はしないでほしい。自分の手にした花をよく見つめて、その花K与えられた姿をいかすように考えるべきである。グロリオlサの形が違えば玉しだの使い方も変ってくる。自分の工夫が必要な花であり、瓶花にする筈が盛花忙しか出来ないような乙とさえある。手早くいけあげられるだけの修練をつんでおく乙とである。新鮮な牡丹を手早くいけることが出来れば、つぼみの花が咲き終るまで葉も生き生きした状態で眺められる。牡丹は篭に、それも牡丹篭という大きな手のついたのにいけるととが昔からのいけ方なのだが、うす暗い古家の床の間には良いかも知れないが、現在の私達には縁のうすい場所である。牡丹の白花、ピンクの花、やわらかい葉、を明るく、思いきり明るく生かすには乙んな花器の方が良い。寺池静人氏の作られた白地にプラチナの箔を焼きつけた明るい事この上ない私の好きな花瓶である。いけた私の手前味噌かも知れないが、とんな生花なら明るい近代建築の中にもよくあうと思っている。友達が社長をやってる会社の社長室も明るく、その人の趣味で統一され、絵や花瓶もかなり注意して選ばれているが、花だけが不釣合に古くさかったり、色も考えずにけばけばしいものがいけであったりする。一枚百万円の絵を買うのを花にかえてみると、一杯五千円の花を二百回いけられるのである。一年五十週として約四年間新鮮な空気を部屋の中に満たすことが出来る。絵とちがって次から次へと変えて行くのは決して手軽なことではない。もっとぜいたくなことであるといえるのである。羊歯自分の工夫玉11

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