テキスト1981
52/156

jsh−・d・h−−−he−i−−h− 人々が解放されたような気分を感じる月、それと共に活動的な気持を持ちはじめるのが四月uお正月よりも、もっと現実的に新入学や、就職を迎える新年度なのである。咲く花達にしても、四月こそ私達の新しい年なのだと思っているに違いない。人生に様々な転機をもたらす月、そして季節の上でも冬が去り、陽光や微風が肌に快く、華やかな色彩が豊かさへの期待をさそってくれる四月には想い出も多いυ私にも色んな四月があるω色んな四月をつみかさねてみて、その人の四月が出来上がる。私の四月はワイシャツを素肌に着る乙とからはじまるu朝、糊のきいたワイシャツに袖を通す時の一瞬のひややかさに触れてから花や風にも春を、そして四月になったなと改めて感じるのである》変な感じ方かも知れないが、人それぞれに妙な所がある筈なので皆さんも正直に思いおこしていただきたい。小学校の新学期、一時間目新しい教科書を前にする時、教室の窓の外は大木の桜がいつも満開だった。大きく聞かれた窓から入る風をその頃四月になればUU〉から軽い上着の下のワイシャツで感じていたようである。その頃の休日には父にせがんで釣りにつれて行ってもらった。神戸の郊外の海岸も今はフェリーボートの発着港になっているが、浜の方は離の酒蔵が続きその向乙うが砂浜で、和船をこいで沖に出て、釣れるものといえば、テンコチにカレイが主な穫物》その日の糊の具合によって、アプラメ(アイナメ)が釣れるととがあるυ乙れが又春先おいしい魚で料理屋の主人に「アブラメが釣れたらお母さんに、こうしてもらいなはれ」と教えてもらったのがアブラメの山根焼である。そうは釣れるものでないだけになつかしい味であるυ散歩にも気軽に出かけられるようになるυ三月中はまだ外出をしぶり勝ちだが、四月になるとどうしても外の様子が気になってくるuそしてつい何となく外出してしまうが、散歩の楽しみは郊外だけにあるのではない街の店屋をのぞき歩いていても寒さに足をはやめてしまうとともなくゆっくりできる》そんな日に街中(まちなか)に思わぬ自然を見つける乙ともあるuお寺の掛の向乙うの山菜東(さんしゅゆ)の満開の花に気がついたり、和菓子屋の生菓子も三月とは随分趣向が変ってるので、ついつられて四月を買ってしまったりする。わざわざ外に出なくても、あけつぼなしの縁側でお茶を飲めるのも四月からだし、庭でバーベキューだってできるようになる。バーベキューなら季節の味覚といった小うるさい味わいではなく、季節そのものを家族と体全体で一杯満喫出来る楽しさがあるο季節にあたえられるものを受身で待つのでなく、自分の方からとびとんで行くような気持が私達にも必要である。近頃はすべて季節感がそζなわれてと嘆くのもよく分かりはするが、まだまだ人聞が人工で変え得た自然はどく僅かなものであるο夏の暑さを科学の力でとめるζとも出来ないし、冬の寒さを何とかするととも無理な話であるυ勿論色んな公害は何とかしなくてはならないが、昔はよかったとだけしか言えない人聞にはなりたくない。失われたものを取りかえす努力も必要である。勉強の苦手だった下の娘も自分なりの努力を重ねて希望の中学校に進学出来たυ目をかがやかせて四月になればと待ちのぞんでいる。上の娘が大学に進めた時もそうだつたu四月とはそんな月だと思っている。今年の四月の私は、ぎっしり予定がたて乙んでいる。だがいずれも花をいける乙となので、どんな花が手に入って、どんな花がいけられるかうきうきした気分で、月の変るのを待ち望んでいる。和風と洋風、そのどちらとも区別をつける必要のないいけばなである。白竹の飽やぜんまいをいけばなにとりあげるのは日本的な志向であり、ゼラニュームもとりたてて洋風なものとは感じられていない。日木調の花として通るいけばななのであるがど乙かが少し違うような感じがする。と、どんな唄を唱ってもどうしても明治生まれの人の唄を聞いている謡曲調の節まわしの出てくる人が多い。ところが若い謡曲家がフォークソングを口ずさんでるのを横で聞いていると全然謡曲調な節まわしがまじっていない。謡曲は謡曲と区別出来ている。明治以来西欧文化を取りいれるのに一生懸命だった日本人も二つの文化を自然に使い分けられる時代になったのかも知れない。だからこそ和風と洋風とかを区別してみたくなるのであろう。二重生活なのである。現代の文化を率直にうけとめて、竹寵にいけるのだから日本風花、洋花をいけるのだからこんな花器にと窮屈に考えず、た、だ美しくいけたいと思っていけたのが乙の花である。乙のテキストを私が担当し出してから半年も過ぎ乙れで8号自になるが、書きたい乙とは多くても、スペースの都合で書き足りなかったり、余分な事を書いたりもしている。固苦しくかまえないで自分の思っていることを正直に、ありのまま書きつeつけて行きたいと思っている。父が見たらどう言うか、苦笑を禁じ得ない時もある。〈表紙の花・4h−−・4−dhd・−h’hh・u・

元のページ  ../index.html#52

このブックを見る