テキスト1981
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p・2のパラとp・7p・6の方にいけかえている。冬は花のもちがよい。一もってくれる花も多い。間古先でも三国川分ほどの花が元気に水をあげていてくれているυ乙のテキストのパラであり、P−3のラッパ水仙はテキストの写真をとったあと二、三日どとK水切りをする度にとりあわせをかえていけなおしている。そんな時テキストに搬った花より良いものがいけられたりする。毎日花ばかりにかまっても居られないだろうが、とりあわせをかえていけなおして見るのも得る所の多いものである。普通にお花の稽古に通っている場合、先生にきめてもらったとりあわせでいけて、それだけで終ってしまうものだが冬の聞はとりあわせを変えていける良い時期なのである。与えられたものだけという所から向分の花の好みを見付け出す第一歩が今だといえる。又残った花だけのとりあわせをかえていけるだけでなく、例えば松の技が未だ使えそうな時、稽古に出て米たもの以外の向分の好きな花を買っていけあわせる乙とである。大ていの場合形をならうζとだけに終って肝心のとりあわせについてとりあわせをかえるととから冬の稽古カ月ほどのパラは同じは先生まかせの段階から、自分のいけばなをいけられるようになれる、有難い寒さと思いたい。乙のぺlジではそんな意味をもっとひろげて、花を習うという乙とについて考えてみたい。皆さんもそれぞれに好きな花がおありのことと思うが、その自分の好きな花が、自分の好きな感じにいけられたらと思って、いけばなを習い始められたのなら全く申し分のない乙とである。自分の好きな花を自由にいけられるようになる為にζそ色々と基本的な型を利用して花の扱い方を覚えるのであって、私達の流儀の型を覚えるだけが目的ではない筈である。いけばなを習っている間に花器にも興味をもっ筈だし、そうなれば陶器や色々な工芸品も考えるようになり好きな花器も出来るだろう。そうなった頃から自分のいけばなが出来てくるのである。越本的なことも一応マスターし、一年間の花材の季節を知り、とりあわせにも目的が定まったなら、部屋を片付けてその花を飾り、家族で心楽しく語りあう乙とだろうと思う。そんな目的でこそ花を習ってほしいのである。そういう風に習って乙そ楽しみでもあろうし又自分が生きて行く上で:・:::オレンジ色パラアンスリュームの葉2

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