テキスト1981
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詑豆(なたまめ)はお佃位の長さで一個別gほどの重さである。前週の稽古の残り枝Kひっかけていける。右に一つ出したら左にも一つというようにして途中でひっくり返らないよう考えながら詑豆をふやして行く。柿の実や柑橘類をいける時も決して無理な枝の出し方はしないととである。いけるのには別に苦労はいらない。鉄線の支えの棒をはずして、代りに蛇豆の蔓にからみつかせておけば良い。紫を四輪(一輪は後にかくれている)詑豆がうまくとまれば軽い鉄線を、白を五輪使っている。詑一旦は薄切りにしたものが福神漬に入れられているのは御存じのことと思うが、豆と人類のつきあいは一万年にも及ぶそうである。農耕の始まりから小麦や大麦と共に人類の胃を満たしてくれている。豆科の植物は単に食料としてだけでなく、いけ花にもおなじみのものが多い。藤、葛、ルピナス、スィlトピl、詑豆、萩、レンゲ、仙台萩、金雀枝(えにしだ)花蘇芳(はなずおう)大きさが1m忙なる)かち)、アカシア等主な品種だけでも乙れ位はある。他にオーストラリアのような豆科の宝庫のような国から輸入されるものも多い。、藻玉(もだま||豆の、皐英(さい線鉄日新聞の販売店の三階にあるが、老齢になった伯母上田慶樹からひきついだお弟子さん達が主になっている。父が十三世家元を継承した頃既に古参師範だった上田慶辰に伯母や上田慶恵が協力して桑原専慶流を広め宇治市を中心に、師範や現在習っているお弟子さんの一番多い流儀に育て上げてくれた。だから古くからの師範の方も多く、今稽古に通って来る人の中には、母も習っていました、或いは祖母もといったような二代目、三代目の方もいてくださる。だから上達も早いしつきあっていても親しみがあって良い。何かというとすぐ宇治川が利用される。新年会も宇治川橋のたもとのお弟子さんの家でやったり、夏は鵜飼いにも気兼ねなく招かれている。平等院にでも久しぶりに行ってみょうかと思ったりするのはそんな時ぐらいのものである。黒砂糖の入ったお餅を持って来ていただいて、しかも網まで御持参で稽古場で焼きながら一緒にたべたり、自分で作った野菜を家に持って帰るよう乙とづかったりもする。又それが大変おいしいのである。近代的なビルディングの三階で、椅子、テーブルを並べた稽古場ではあるがお弟子さん達の気持は昔とちっとも変っていない。明るく親しく毎土曜日を過どさせてもらっている。I「it 旦(ナタマメ)花器11昔褐色花瓶9

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