テキスト1981
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乙の花瓶は白地に亦、黄、料、金、銀で小紋の拙かれた派手な色彩である。乙れまであまり位ったことのない傾向のものだが、乙のとりあわせのような地味な花には明るさを与えることが出来て都合の良い花器である。技巧的には不充分な仕上がりの陶器だそうだが花をいけるとそんなやは感じられない。らしい色は川いていない。もし乙のとりあわせを仙の花器、例えば土色の焼締めのような感じのものではただ渋いだけのかさかさした花にしか見えないだろうと思う。そんな場合何か亦い花でも什止したくなるに追い内の貴船菊花枯蓮の葉と実で、色ない。又そうすべきなのである。乙の作例のような場合には別に赤い花は必要としないが、地味な花器にこのままのとりあわせでは具合が悪い。何か明るい色の花をそえていけるべきなのである。新古場で感じのよかった花でも、帰っていけ直してみて、形はうまく再現出来ているのに何となくおかしいといったような場合、思いきって花器も花型も変えてみる乙とである。投入を盛花に、又その反対にしてもよい。とりあわせが三種の場合ニ程にかえても良いし、別に何か一種足しても良い。納得の行くまで考えなおして欲しいと思う。小紋花瓶vレ会?っ。宇治の稽古場通いも十一月の末頃になると帰りの宇治柿の上は寒い。三条大橋の上よりずっと寒い。ダムのあたりの寒々した夜気が山間を宇治川の強い流れの上におぶさっておりてくる。そんな夜の橋の上でも時々立ちどまって川上を眺めていたりする乙ともある。私の町内から祇悶祭の時「浄明山」が出るが、乙れは宇治川の合戦の一挿話を人形に仕組んだものである。浄明法師の頭の上をとびこえて一番乗りをねらう一来法師の姿をとらえた山飾りは他と少し変っている。毎年御祭りの時に浄明法師に鎧を着せているが、重たい装怖とはいうもののその程度のものを身につけていればよかった良き土円である。武器の発達と共に段々と兵士の姿は美しさがなくなってきている。体力のある男なら、あの見事な装飾の施された鎧姿の恰好よさには多少の危険はあっても魅力を感じたに違いない。悪く勘繰れば鎧武者姿の恰好よさをみせびらかしたくて無用の戦争を起乙した男もいたに違いない。軍人は不恰好な方が平和でいいな、と寒い橋の上で十分位過ごして稽古場は国鉄の宇治駅の真前の朝宇治の稽古場貴船菊(秋IY'1菊〉蓮の葉蓮の実8

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