テキスト1981
129/156

葉の蓮7G。鶏頭の重さに対して萩だけでは下るυふちが黄ばんでいてとのとりあ御所の東側、寺町通をはさんで虚山寺の向かい側に梨木神社がある。九月の第三日曜日に萩祭りが行われる。紅白の萩を青竹の筒に生け、短冊をつるして神前に供えるο暑さも退きようやく本当に秋らしくなって来る頃の市中の風物である。秋の七草の一つであり秋を代表する花として草冠に秋、と書く字をあてられているο中国で萩とよばれている植物とは別物である。万葉の昔から愛されており、萩の名が詠みこまれているのが他の花を抜いて一番多いそうである。美術品の中でも秋に関係した図糾には必ずといって良いほど萩が描き乙まれている。鶏頭、蓮の葉をとりあわせたが乙のいけ花では鶏頭が主で柔らかきをそえるために萩が使われているυ大頭の鶏頭を図のような花器にいける場合剣山が安定するよう砂利をいれておく。手を抜いて形を追っても無駄な労力を費すだけのものであ部のおさまりが悪いので蓮の葉をあしらった。庭の鉢植の蓮も秋も深まり今頃になると三日位は緑が保てわせの中にうまくとけこんでくれている。花器は濃い飴色で高さが約加佃あるので萩のような枝先の垂れ下る花には向いている。るものに脱皮する必要を迫られ右往左往していたのが最近迄の状況であろう。体系的には異文化に属する文化的所産の中でも比較的に取り入れやすい分野としていけ花が或る程度まとまった人数に普及したのは占領軍の将兵夫人達でその大部分は異文化の雑居しているアメリカ人のようであ自分達を育てたものと違った価値体系として、すばらしい伝統文化と、占領軍将兵夫人達が感じとったいけ花は当時伝統色をぬぐい去る乙とに一生懸命だったのである。そして現在、各国の国民が育てた伝統的文化のそれぞれの特色に価値が見出されるようになって何をしたらよいのか分からなくなってしまっているのがいけ花の現状である。いけ花展のどれを見ても困惑の表情がうかがえる。私達はアメリカ在住の二世や三世と同じ程度にしか日本を知らされていなかったとニ一一守える。帰郷して古老に日本文化を質問しても返って来る返答には大して期待出来るものはなさそうだと形容していいだろう。現在の復古調というのは過去の国粋主義的なものと違って国際的なものであり、自分の家にどんなものがあったか、素直に見つめてみようとする傾向であろうと言える。E員鶏萩花器マゐυそして皮肉な乙とに異文化の中に飴色紬コンポート5

元のページ  ../index.html#129

このブックを見る