テキスト1981
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のオープニングパーティがあり菜子と二人で出席。父と親しかった早川尚洞氏とも久しぶりに御自にかかれた。氏はζのテキストの毎号の感想を御送り下さっている。又今度の出品作についても適確な批評を御聞き出来た。*九月十二日・@・曇早朝手直しο京都から高山さん、後藤さん、惣司さんο大阪からは高岸さんも来られたのが同時だったので東京側の永山さんや岡崎さんと昼食を共にしながら長い間話しこむ。夜は久しぶりに親友相磯氏夫妻と歓談。相磯氏の奥様は当流の熱心な教授者の一人である。この二日間、地味だと思われていた生花展への入場者は一万人を乙えしかも二十才代の人が主になっている。戦後のいけ花の変化は目まぐるしい程ではあるが、未だに生花は根強い力をもっているようである。日本を見直す乙とが盛んになってきている昨今の傾向にそった動きの一つだとは言いきれない所がある。若いお弟子さん達の中でも、本当にいけ花が面白くなり出した人達は決まってお生花を教えてほしいと言い出してくる。そして本当に何かを習っている、或は修行しているというような気持で稽古に通ってきているのがよく分かる。その傾向の中には単なる懐古趣味ではなく現代的な感覚でそれを求めているように思える。生花のもつ簡明で直哉な姿に惹かれるのであろう。いけ花はゆっくり変化して行くものである。良いものが生まれるまで何世代もかかるに違いない。合九月十三日・⑮・曇朝手直しをすませて上野の松坂屋ヘボストン美術館所蔵の近世日本扉風絵名作展を見に行く。乙の中には尾形光琳の「松島」の扉風が出されている。もしボストン美術館に行く機会があっても運よく「松島」が陳列されているとは限らない。そう考えれば光琳好きの私にとって千載一遇の機会と言える。もし貴方の最も好きな絵は何かと聞かれたら、ためらわず光琳の「燕子花図扉風」を挙げる。育ちも好きだし、暮らし方にも羨望を感じる。夕刻か当り前期の撤去。あと三日間のために私の生花を締め直す。合九月十四日・⑮・曇朝の手直しの後神田の古本屋をまわる。十軒程のぞいたが買いたい本は見付からなかった。乙の五日間随分多くの人に逢えたし方々歩きまわりもした。二人で上京した目的も大体はたせたようである。この日京都から北川慶法さんが来られたそうだ。帰りの新幹線の中では十一月の流展の件について検討しあった。良い会になるよう精魂を傾けている。御期待願いたく思う。f品、「生花」展1981桑原専慶流

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