テキスト1981
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(シシウド)独活ストレリチア花器黄土色花瓶うK違いない。時々花屋へ目的なし名称不明の葉をパックにしてストレリチアと独活は黄土色の花器がよさそうである。乙の大きな葉は巾が印叩近くあり暗掲色地に赤黒い地図のような模様が貼りつけたように入っている。ストレリチアは色も形もきつい花であるが、ζの大きな重さのある葉の前にもってくると小店のような感じがするο極楽鳥花という名前もおかしくない。弱い花ととりあわせるとまるで火のむのような感じの花であるが。独活(ししうど)を一本そえたが附褐色の大きな葉の前で白い花火のように見えるοそして立体感を与える働きもしているυζのいけ花は乙のとりあわせのままでは和古にはならないだろう。だが皆さんも一すいけてみたいなと思に行く乙とであるυ変なものがあったら大事に残しておくととであるυ何かの時に役立ってくれるυ花屋へ行くだけではなく、折にふれて郊外や野山を歩いてみるととはもっと大切である。そこで見た草木の姿は必ず自分のいけ花に生かされてくる。花をいける以前K必要なのは忙しさに負けずそんな事をしてみるゆとりの気分なのである。ほんの僅かなゆとりを作る乙とから、美しい一日が生まれ、そんな日が一日でもふえることを願うのがいける人の気持であろう。るο事前に校どしらえをしてあるの前日に荷造りしておいた花、花器が二つ、いけ乙みの道具類。大きい上に情ない位重い。運送屋に頼んだのでは九月の初旬だと花がむれて使えなくなるので致し方のない乙とではあるが重い。だが好きな生花をいけさせてもらえるのだからと自分に言いきかせて家を山る。午後一時に会場に若く。もういけこみが始まっていたが静かないけとみ風景である。早速荷をほどいていけ乙みにかかで仕事は早い。時々手を休めて会場内を見てまわるが若い花道家が多く皆注意深く丁寧ないけ方をしている。生花だけのいけばな展は初めてのことであり、同好の士が集まっているというような気分がするのであろう。仙の人の花を熱心に見ている人も多い。私も興味深く他流の方々のいけ乙みを拝見してきた。生花好きの花道家には生花一うちこんで来ている人も多い。技巧を要するだけに水揚げや矯め方にも細心の注意を払い乍ら、永い間一つの型を守り年月と共に僅かずつの変容を重ねて現在に至っている人もあ会九月十日・@・晴「生花」展一九八つに10

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