テキスト1981
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貴船菊花器煤竹め社鵠筒(ほととぎす)絵K描ける乙とがあった時は嬉しく貴船菊は秋明菊とも言う。乙の四・五年来安定した量が花屋の店におかれているようであるから稽古花と見てよいだろうと思う。又杜鵠も固い棒のような茎の暗い色の花のものでなく柔かい明るい色のが出まわっている。白花もまじっているところは山杜鵠に似ている。生花としていけても可愛いものである。近頃ゆっくり花の絵が描けたととがない。毎月第三木曜日の生花研修会の日の解説の絵を作るぐらいのものである。テキストにも二、三点は絵をいれたいのだが、原稿用紙の桝目を埋めるのが精一杯。父が私の年頃の時代はもっと暇があったようである。素子に父の五十才前後の事を聞くと、それなりの苦労も多かった事は確かではあるが、一日の暮らしの中での時間のゆとりは羨ましい。たまに時間が出来て落着いて自分の好きな生花をいけ、しかもそれをて仕方がない。ついテキストにのせたくなってしまう。九月号で私の閑雅な時間の事をのせているが今乙の文章を書いていながら本当にそんなゆとりが持てているのか疑っている。だが幸せなことに花をいけるのが好きである。忙しいといっても花の為に追いまわされているのだから自分で求めてそうしているのである。世間から見れば見当違いな忙しさというべきである。戸宮白7

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