テキスト1981
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口UHM白一一H口10 秋の山で紅葉に先立って自についた赤がこのむしかりの実の群がりである。むしかりの漢字は不明であるが「虫食われ」から来たものであるという。又囲炉裏にむしかりの柴を焚くといやな臭気がするので嫌われてもいる。人家に近い野山に多く、身近なものでありながら、あまり好かれてこなかった樹である。実もがまずみのよう忙食べられるものでもないので子供にも興味をもたれない。でもその赤い実は春の清らかな白い花と共にいけ花の世界では愛されているu町の中での見られ方と農村での見られ方の追う花は他にもあるだろうυ私達の周囲には見直されなければならない花も数多いに違いな鳥兜(とりかぶと)とむしかりの笑の色とは強く対照するυそんな場合色をやわらげるのに淡色の小花が掃しそえられる。乙のいけ花では白竜胆(しろりんどう)を三本とりあわせている。派手ないけ花ではなく落ちつきのある赤い実の使い方である。乙のむしかりの実も葉をとって笑だけを白いアンスリュlムとでもいければもっと違った感じを与えるようにいけ変えることも出来る。鳥兜の紫も他の紫の花よりずっと濃い紫である。乙の紫をよく生かす乙とを考えて使わないと鳥兜のいけ花は大てい陰気なものになってしまう。たuチェーン・ソウとおトンのレッ東京の生花展から帰った翌朝だが流内の造園家、竹中慶敏氏から松喰い虫にやられたお寺の松の大木を六、七本切り倒すから良い枝を取りに来ないかと電話をいただいた。十一月の展覧会にも松の幹は欲しい。早速駈けつけた処、丁度赤松の直径印冊以上のを一本倒した処だっカー車を使つての仕事だけに見るみるうちに、大型トラック三杯分位の枝の山が山来るυ好きな所を切って良いのだから楽しくて気が弾む。中には何故ζんな恰好の枝になるのか不思議なのもあるυ禅宗寺院の松は大木であっても枝を切りつめて直立させたものが多いυ御所の松は自然に伸びた横拡がりの姿で黒松は長い下り枝になっているο遠目で見て姿が良いので最初の聞は役にも立たない枝を苦労して切っていたものである。竹中さんとは父の立花用の松をよく切りに行っているο昔急に松が足りなくなって夜中に滋賀県の山の中へ集めに出かけたことがある。お互いに松集めには慣れてるとはいうものの「懐中電灯だけでよくあれだけ良い松が集まったものだな」等と話している聞にトラック一杯分の松が集まった。いけるのを楽しみにして1る。松と竹中さん=由二死Lむしかり兜再,司、ゴ花器辰砂舟形水盤5

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