テキスト1981
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》U黄菊七本、平凡な行の型にいけてみた。稽古の標準にしていただきた真、見越、副、胴、総囲、留、控の七体である。見越の花は真固にもってきてもよいが、そういけると真の前ばかりに花が集まって奥行がなくなり重い感じを与えるので写真のような枝配りにしている。生花にする菊は葉が小さくしまっていて、葉付の多いものがよい。特に花首の下から一番目の葉までの聞が短いものをえらぷ。真はまともに横姿の見える枝だから手にした菊の中から最も姿のよいものを選びたい。そして右勝手に見る方がよいか左勝手にいけた方がよいかを決める。生花の型は真、副、留の三枝で決まってしまう。しっかりした力強いものを三本まず選び出してしまう。後の枝は何とでもなるものである。控や見越は細く弱い感じのものの方がその役割にむいている。それぞれの枝をえらび出し長さが整うたなら水際になる部分の葉をきれいにとり、葉柄のつけ根を鉄で切って凸凹をなくす。一つでも小さなふくらみが残ると水際が一つに揃わない。水際になる所が曲っていれば真直に矯め直すととも忘れてはならない。葉の整理が終ってから各枝を充分矯めてからいけにかかる。花器にさしてから矯めると簡単に折れてしまう。下準備が肝要である。種黄鏑、。M・私にはぼんやり空を眺めたり、あ昨年の冷夏にくらべると、今年は七月の二十日過ぎから気持よく晴れあがり、夏の太陽を満喫するととが出来たυ庭木もよく水をきらしそうになる。朝夕の撒水だけでは足りないくらいである。夏が暑ければ暑い程、秋が美しく感じられる。そしてゆったりした充実感のあるのが秋だとも言える。一年中どの季節も好きなのは有難いことではあるが、人間が少し嬉しく出来てるのではないかと思えて照れくさい気もする。縁側に机を出して勉強していても、ふっと空を見上げて雲を眺めている問にすぐ十五分はたってしまう。そのうち、御所へ散歩に出かけたくなり、帰りに寺町通の古書を見て歩いていると夕方になってしまう。友人連中に、そうした暮らしを羨まれはするが、その連中が仕事から解放される夕方からが稽古で忙してのない散歩をしている時聞がないと、いける花にもゆとりのなさが匂ってくるようである。その上良い木を読んでそれを理解したいし、良い絵も見たい。私はよく本を読んでいるが殆ど忘れてしまうととにしている。気楽な思うままに・... ーー~花器亦褐色花瓶6

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