テキスト1981
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A糊叫Uu蔓一JLJh11可V。 木山tn擬栴安梅擬(ツルウメモドキ)は色づいたものより緑の頃の方が好きである。色づいたものなら実は少ない目のものがよい。錦木科の植物で、京都の周囲の山地にも見られたが、今は殆ど自につかなくなったものになると幹の直径羽佃をとすのもあるそうだなものが野生している。緑の実に真山門な制空木(ノリウツギ)が、もう夏も終りかなと思わせるような季節感をただよわせてくれる。糊空木は、雪の下科に属しているから、紫以花(アジサイ)とは近縁である。山紫陽花や廿茶は花の形が等紫陽花(ガクアジサイ)に似ている。糊空木は小川川通の紫陽花に似るが花のかたまりの先がとがったように咲く。しおれた後は乾燥させておけば何回か新鮮な花ととりあわせていけられる。克梅擬は左右に一木ずっと、前に下がる校を一本、糊山に木は三木を葉付きのまま、そして緑の不足分は紫陽花の葉を前の方に水際を整えるのに使っている。真ものをいける時は、その花の形に従っていけるととが大切である。蔓性の低木で大きな北海道にはまだ大き沖縄の烏瓜(カラスウリ)の枯れたものに、向日英(ヒマワリ)を短くそえた。手のついたガラス器なので、手に烏瓜を括りつけている。乳白色で墨流しのような模様のついただけの、あっさりしたものなので花器の色としても使いよいし、中が見えないのが有難い。思いつきの花だが今、机の上においてζの稿を書いている。最初は濃い緑に白い縞の実が、赤くなり、黄ばんできて今は茶色で縞目も分から向日葵の色ともよく合い色彩上の難点もないようである。乙の花を疲れ休めに眺めているうちにコーヒーが飲みたくなったのも妙なものである。書きものをしている時は大抵は日本茶なのだが:::。テキスト用の写真をとっている聞に、その辺にある枯花が自について小さな花をいけてみる乙とがよくある。家には何となく色々なものが残っている。だからそんな事も出来るのであるが、私はそれを生の花ととりあわせている。乾燥した枯花だけを何種類も花瓶にいれて楽しむ乙ともよく見かけるが、生の花でよくあうものをえらんでいけてみると、別な美しさが見つけられる。表紙一首一福擬,\ うめ花器灰色軸花瓶2

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