テキスト1980
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今年の夏は暑気を感じる日もあまりないまま過ぎ去って行った。お米が不作というζとだが、花の咲き具合も相当狂って来ているに違いない。天候の不順な年は九月にはこれを、十月にはあれを是非稽古してもらおうと予定していた花も、不作で少なかったり、値段が高過ぎたりして使えない事もある。特に自然味の感じの溢れる秋の花の場合におこり勝ちな条件のようである。一年間の稽古を通じて今年はあの花が使えなかったなというのが必ずある。そう考えて見た時どく一般的な花でも一わたり稽古出来るのに三年はかかると思う。お生花の稽古には特にそんな乙とが多い。上の蓮台、オンシジュlム、カラジュlムはチlク材の器にいけである。蓮台は花が散ってからあまり日のたっていない緑の美しいものである。蓮台といえば大ていは茶褐色の重苦しい感じのものであるが、今時分までは色の美しいものが使える。オンシジュlムやカラジュlムをそえて大変色あがりのよい、みずみずしさを感じさせるいけばなである。家の庭にも紅蓮を大きな聾に植えてあるが切りとっていける程の量ではない。毎年七八月には一口村(いもあらい〉という京都の南の蓮池へ行くのだが、乙の蓮もそとで切って来たものである。お盆を過ぎると花も小さく葉もいたんでくる。その頃迄にいけたい。士口夏を送る花毎月1回発行桑原専慶流(花材)蓮台・オンシジウム・カラジューム編集発行京都市中京区六角通烏丸西入桑原専慶流家元隆1980年9月発行No. 207 いけばな

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