テキスト1980
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出品者桑原市一リ渓勅使河原霞東京・上野小原場主粕谷明光子嶋千俊早川尚制肥原康甫吉村翠呆6月5日J日日池田理失池坊日本経済新聞社尋永戦後、大きい花展がいろいろ催されたが、乙れほど大規模の展覧会は久し振りである。松坂屋も広い会場を使って悠々、乙の大花展に対する準備も行きとどいたものだった。同の日日まで連日満員、入場者総数5万に達する盛況だった。専渓とその随品は旬同会場に山席、関西方一山よりの米会併の応接に多忙だったυお茶の水の「山の上ホテル」に宿泊して毎日松坂屋に通勤したのだったが、まっ呆の人の集まりを見るだけですっかり疲労してしまったο第二円の6Hには両松宮妃殿下の御来臨を仰ぎ、また印自には三笠宮妃殿下の来臨をいただいて、会場を御巡覧賜わった乙とは会員一同の光栄とするところだった。会前、三回ほど東京で打合せ会があったが入院中の私は出席できず、とにかく、今度はおつきあい程度の出品、と覚悟をきめたのだったが、ふたを聞けてみると案外成紡よく好評を得たのは望外の幸せであった。今度の私の作品は「南回帰線」と題する大作で、南洋地帯の熱帯林を想像して、その密林や海辺地帯の植物の情景を基礎として作品化したもので、材料も熱帯特有の材料を主に造形的K構成したものだった。6凡5日刷会から観覧者がどっと押しかけ、最終日本いけばな叩人展会期会場主催松坂原作品を御~原作品を御覧桑原専?菜作品高松宮妃殿下をお出迎え屋6

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