テキスト1980
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パラにテッポウユリは洋花ではなく純然たる日本の花である。パラは江戸時代の古い絵に描かれており、「長春」という漢語風な雅名があり、テッポウユリは奄美大島が原産地で鉄砲渡米と同時に世界にひろがったという歴史があって、乙れも日本の原産種の花である。私達の生花花活ける材料として、テッポウユリやパ一フは日本の草花かんぼくの花と考えるよりも、洋花のような華麗さをもっており、純然たる生花の材料としてよりも、洋花風な印象を・つけるのだが、生花の材料が日木的な枯淡というところに興味をもっ関係から、パラやテッポウユリを活ける乙とが少なかった。しかし、パラも品質を選び季節感を考えて活けると、中々風雅であり、色彩といい形といい中々面白い。ことに晩秋のとろ朱色の実があって紅葉した葉とともに、すばらしい趣味の生花が作れるものである。テッポウユリもつぼみは平凡だが開花、中聞の花を適宜にとり交えて活けると形のバランスもよく、花形として好ましい材料であるυアイリス、チューリップなどをつけて生花に活けると明るく美しい生花が出来る。アイリスの場Anは曲,似状の葉を留に使って形を作るとよく調和する。花材の配合というものはむずかしいものである。主材に副材を取り合わせて瓶花、盛花をつくる場企にも、乙れを活ける場合にも配合が悪いと引き立たないし、活ける形や技巧がよくても引き立たないという乙とになる。材料の花葉校の形の組み合わせ、色調の配合、ことに趣味のよしあしというととにも関係があり、活ける人の好みにも関係があって、何を考えているのか解らないようなとりとめのない作品が出来ることにもなる。家元で毎月「花脳会」という瓶花、盛花の研究会がある。会員の人達が花材を選んで各自が持参、花棋を自由に選択して思うままに活けるのだが、かなり永い年間継続した会であり、会員の皆さんも充分その空気が解っているのだが、何を考えて花材を選んでいるのか、またなぜ花に調和しない花探を選ぶのかといった作品がときどき山来上ってくる。そのいいところ、間通ったと乙ろを家元がかなり微細にわたって指摘し、批評を加えるのだが、出品者になると中々むずかしいものらしい。形を作る技術よりも、考え万がむずかしいという乙とになるのだが、心をひろやかにして、常に新鮮な巧え方や、縦横自在の応用をするその与え方が窮川であっては駄目である。乙れをひろく考えてみると、いけばなという一つのワクの中に固くとじこもる様な考え庄は、よい花ができない乙とになる原因になるのだろう。よい作品を作るには、常に心をひろやかにして、応問自在ののびやかな考案のあるととが望ましいのである。瓶花盛花は花川刊の配合の中K美を作りあげるいけばなであり、考寝の大切な花といえる。生花テッポウユリアイリス3

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