テキスト1980
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」』松る花というのが大変むつかしいのである。色をおさえて渋さをねらって失敗すると番茶を煮つめたようなシブイだけの花になったり野暮くさい俗悪な花になってしまう。いきおい男性の入門者はお生花をやり出す乙とになるがそれだけでは物足りない人も出て来る筈である。戦後も色々ないけばなが流行したが今はほとんど姿を消してしまった。或は観賞に耐えられる程のものではなかったのかも知れない。今又女性だけを対象にいけばなを考えていては進歩のない話である。といって近代芸術の仲間入りをしようというのも浅薄な考えではないかと思う。それにはいけばなとは追った哲学なり思想が必要に違いなし私自身は花をいけるのは好きであり、ごく普通の意味でのいけばなの良いものをいけて行きたい。その努力を続けていく聞に男性も自分でいけて見たくなるようないけばなが出来て行くと思う。世の中の半分は男性なのだ。幸い男である私には男の好みというのは分かる。一般の男性は今迄の所いけばなというのは女のものでただそれを眺めていただけなのである。着物にたとえていえば女の着物ばかり作られて男の着物を忘れてしまいかけていたのがいけばなの世界といえる。たとえいけばなを見てもかわいいお嬢さんがきれいな着物を若たのを見て目を細めて可愛い可愛いといってただけのような所があったのではなかろうか。乙の項で述べたことは大分大げさな言いまわしをしているが近頃感じていることの一端である。(花材)ひまわりガーベラ9

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