テキスト1980
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.っ。采菊東雛下菊を采る東雛の下中国人も菊好きな民族である。陰暦の九月九日は重陽節(ちょうようせつ)で菊花の節句である。盛りの菊を酒杯に浮かべて長寿を願って飲んだという。文人の中にも菊を愛し、数限りない菊を植えていた人も多いようである。柳斉志異(りょうさいしい)に菊好きの書生が遂に菊の精である女仙と結婚してしまう話もある。林語堂という人の書物の中に「菊の香で先づ思ひうかべるのは蟹である」とあるが蟹は確かにその菊の秋から食べ頃になる。詩に出て来る菊の中で最も有名なのは、やはり陶淵明の「帰去来辞」の次の一節であろ悠然見南山悠然として南山を見る陶淵明の「飲酒」題する二十首のうちの一首である。貧之詩人の淵明が重陽節に杯を浮かべる菊はあっても肝心の酒の無いのを嘆きつつ詠んだ詩だと伝えられている。中国人は重陽の節句といえば菊υその菊は酒杯に浮かべるものであり、酒杯を手にすれば自然と食べ頃になった蟹という乙とになるのだろう。「菊花の酒」という時、菊を鑑賞しながら酒を飲むのではないらしい。重陽の節句の風習は日本にも渡来したが中国と違って「観菊の宴」となり文字通り菊を見ながらの宴なのである。ー中国のおはなしl中国から日本には多くの風習が伝来したが中国での本来の意味が失われているものが多い。端午の節句にしても中国のそれとは全然意味も違い行事の内容も変ってしまっている。人種的には同系の両民族ではあるが民族性の差は大きい。近頃ようやく簡単に同文同種とは言い切れない乙とが一般に分かり出して来たのではないかと思うが、同じように中国文化の浸透した朝鮮半島の場合は同文同種というととがほぼあてはまる。儒教が最も盛んになったと思われる江戸時代の政治理念や社会制度も中国の文官優位制とはかけはなれた武家社会だったのである。中国文化の根幹をなした文人というのも政府の大官であり日本で言えば大名級の人であった。文官優位の社会で幼時から教養を梢み屯ねた人達の作り上げた芸術美術であり白木の茶道や花道に当るものも、そうした文人の書斉の産物である。千利久のように茶をほぼ専業とし秀吉にそれでもって仕えた人のものではない。どちらが良いとかすぐれているという比較をしているのではなくその文化を成立させたものの背景を知っておいてほしいのである。乙の他にもその国の文化や芸術を支えている基本的なもののへだたりの集積は大きな差を持つものである。まして西欧との差はもっと大きい。明治以降西欧の芸術という観念が輸入されたが、いけばなを西欧式の単なる造型芸術という解釈は私には納得出来ない。もっと異質でしかも困欧のいわゆる芸術よりも高度な面を持ったものではないかと思っているが、うんと勉強して誰もが承知出来る答えを見つけたく思っている。⑤オンシジウム・アンスリュlムの葉・アリアムシュlベルチ9 :菊:一と一一蟹一

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