テキスト1980
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カーネーションと粟。パキスタン製の白地に濃紺とトルコブルーで草花の模様が拙かれている花瓶。カーネーションはピンク。未だ暑気の去らぬ初秋ではあるが色彩のあっさりした、きわやかな一瓶である。4頁のいけばなは重みと厚みを感じさせるが、乙のカーネーションはを感じさせる。かためていけてはいるが軽やかさ、明かるさが出ている。花器の形や色、柄。それに粟を上にのびる軽るそうな三本と、重く大きく実った下向きの粟一本の対比が全体の軽快さ建築物か何かを設計するように、いちいち計算しながらいける訳では決してない。毎日侍日色々なものを見、味わい聞いている聞に自分自身の好きなものが心の中に形造られている筈である。だから誰でも手を訓練すれば、そして花に対して素直な気持になれた時、自然に一つのいけばながいけ上げられて来るのではないかと思っている。花の稽古と平行して自分自身の心にかなう美しさを問いかける事が大事である。(花材)カーネーション・粟φt’Hh、,’u。 のζとであろう。省略して画面を面次の頁の絵は私の描いたものだが御覧になって父の絵とよく似ていると思われるにちがいない。私達が皆さんの為に描くいけばなの絵はまず第一花正確にその形を伝えなければならない。絵としての面白さはあまり考慮出来ないのである。いくら絵としての良さがあった所でどんな風にいけであるのか分からなければ意味はない。しいて言えば設計図を作るようなものなのである。正確さを狙って描く以上父の絵と私の給が似かよって来るのは当然白くまとめたりする事が出来ない絵である。その上和紙に量で摘くのだからますます似るわけである。多少の好みの違いは線の太さや花器を描く時K出る位のものであろう。古い花伝書は大低は木版画であるが立花にしろ生花にしろ分かり易く重宝するのは正確さを主眼に描いたものである。背景をいれたりして装飾的な効果を狙ったり描いた人の主観の入りすぎた伝書はあまり役に立たない。筆写した伝書も多いが実に丹念に一枝一葉もおろそかにしてい正確さが大事なら写真で良いではないかという乙とになるが、いけば自分の花を描こうなを稽古しているならやはり自分で描いて見るべきだとすすめる。特に生花や立花をしている人にはそう言いたい。自分でいけ上げた花を丁寧に描いてみると乙の枝はもっと曲げておいた方がよかったとかどとかが重すぎたという乙とがはっきりと分かる。そして自分のいけた花の長所と短所をはっきり知る乙とが出来る。自分の花を自分で描く乙とによって少しづっ自分の理想が胸中に形造られて行く。自分自身の花型を見出す早道である。私もいけばなを習い初めた頃から丹念に自分の花を描いて来て大変良い事だったと忠っている。最初は古い版闘の出来の良いの、或は自分の好みと思うものを手本にしたりもした。そうやっていけばなの描き方を覚えていったが、自分のいけばなの絵もいけばな自体が定まらないので今見かえしておかしいのが多い。だが絵を描いている聞に副はどんな風に作って見たいとか各校の比率はどうなっているかを知る乙とが出来た。皆さんにも自分の花の絵を描くととをおすすめする。別に上手に描けなくても良いのである。正確に描くだけの事なのだ。枝の曲りの角度、葉の向き、各枝の長短等を描いていると自然にその花の特徴がつかめ自分自身のいけばなを適確にいけられるようになっていくものである。パキスタン製の花器にいけばなの絵5

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