テキスト1980
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垂体の副流しのつるもどき。酌りの下方には其の形の白りんどうという定法通りにいけた生花である。つるもどき等のつるものは真を高くいけると重みで前後左右にゆれやすくて扱いにくいものである。二瓶とが出来る。実つきが少なくてしかもしっかりした枝を低自にとり副には枝先まで美しく突のついたものをえらぷと、つるものの感じをうまくあらわす乙株分け、二重切、三重切或は二瓶飾、二、三管筒等にいける場合、例えば二管筒では上管が草の形であれば下位行は其又は行の形と形式を変えていけることになっている。写真の二瓶飾も楳竹のつるもどきは垂体の副流し、下のトルコブルlの花器にいけた白リンドウは真の形となっている。定法を守りながら良い生花をいけあげるのも楽しいものである。つるもどき・白りんどう(花材)今日も菊一一砲のお生花の稽古を六角の家の二階で見ていたが、私が生花を本格的にやり出した時の事をすぐ思い出す。当時私も仕事を持っていたので仕事を片付け食事をすませて花屋に行く。生花の稽古を始めたのは十月半ば頃だったので毎晩菊の生花ばかりやっていたυ花を買って六角の家につくのが9時前後だった。花は花政さんで買うことが多かったと思うが九本か十一本いけるのに二十本は買ってたように思う。それも上等の焔ばかりで、今ならそんな太い大輸の菊は敬遠したい。場所をとしらえ簡に配りをかけていけ始めるのだがそんな菊だから初心の私に思うようにいけられる訳がない。父に言われたような形にしようとするとためそ乙なって次々に折れてしまう。日時はすぐ過ぎてしまう。日時をすぎるとくたびれ始めるので失敗も重なる。ロ時近くなると指が乙ぷらがえりしてきで動かなくなる。日凡に入るとそんな事も度々起きる。そしてまともに使える菊はほとんどなくなってしまう。1時頃になると父もしびれをきらして階下から「隆ちゃん、まだか、早う寝させてくれよ」と声をかけて来る。でも何とか仕上げにかかるが初本買って最悪の時は7本の生花しか出来なかった事を嫌でも忠い起乙す。そんな具合いで私の本格的な稽古はお生花から始まった。だから私の初期の展覧会の花はお生花が主になっている。華道京展、そのほか他流との展覧会もお生花で通した。菊のお生花の後、葉闘の稽古も三、四カ月続いたが一時はこの葉はど乙にどう使えるかが即座に分かる位にもなった。所が恐ろしいものでそれから半年程たって父の前で葉闘をいけた事があったが、どうした事かさっぱりうまく行かず、実にだらしのない葉聞になってしまった事がある。相当和古をしたつもりのものでも中々自信など持てるものではない事を身にしみて知った。又お生花を始めて少しはいけられるようになった頃には色々古い文献をひっぱり出して自分の好きな花型にならっていけてみたりした。そうやって試行鉛誤をくりかえしている間にお生花の構成に自分なりの考えも出来て来た。お生花が面白くなり出した頃には道を歩いていて塀の上から枝ぷりのよい木がのぞいていたりすると無性に切りたくなったりした。碁を覚え始めた頃格子状になったものがすべて碁盤に見えたのと同様だった。定法通りの二瓶飾り回想菊と私3

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