テキスト1979
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中国周時代の侯国に宋という同があった。北部に部した時代を北宋といい、南部に部した時代を南宋といった。文治じ義による官僚政治をりなったが、この時代の文化人の中の文学美術を好む人逹の間に一神の形式が仕み出され、絵画の画風に北宋画、南宋両などという画風が創立され、文人雅客の好みとして書圃をたしなみ、盆栽瓶花を作る趣味が盛んに行なわれるに至り、これを「文人風」と名づけられるに至った。その時代に、日本にもこの性格の芸術が伝えられて、文人画(南画)の形式が流行することになった。また、同時に盆栽瓶花の趣味の中にいわゆる南末風の感覚をとり入れた作風が流行し、これを「文人趣味」ととなえて一般的に流行することとなった。そのころ巾国渡米の陶岱、合、など文人風の道具類を好んで用いることになり、それが趣味として今日にも伝えられているものも多い。「紫棺の点'」などに文人好みのものが多く、平点、高屯など古い形武のものの中には、文人好みといわれる合の類が多くある。ここに掲載した「高卓」たかしょく、の類は文人好みの高台であって、これに「懸涯風」の盆栽を飾り、垂形の瓶花を飾るための台であり、主として占雅な趣味の瓶化を飾る合といえる。老松バラ、青楓ユリ、紅葉山木に菊など調和がよいが、またこの高卓に、洋闇モンステラ、アス。ハラガス、瓶花も醐和する。要は花器との配合による。カラジュームなどの洋花(池5)R 、り細nの銅器の花瓶にすすき、ささゆりの二稲を活ける。足もとの細い花材なのでこの17もとで充分入れることが出来る。軽やかな花材だがひろがりがあって清爽慇のある初夏の花といえる。人)」のはじめ筒百合が咲き出し、若葉のすすきとの調和がよい。6

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