テキスト1979
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春軒十三世専渓(雅名一祝)の作、紫キキョウ上品な花器である。花器だが、床の間の悦床に敷板をしこの瓢の花入れは、江戸末期の冨であって花器の裏面に赤漆で書きっけの署名がある。安定感のある形の椿一輪、牡丹一輪など調和のよいかずそのままじか置きに飾る。日木種の花が調和よく、秋草の怪やかなものニー三種、りんどう、山菊、孟柳の紅葉など取合せるのも嵐雅であろう。貴船菊一種、かきつばた一種など好ましい。中筒を用いて抑けてある。桜が終わって青葉の季節となった。打月一日、息いつくままに統峨方而へ車をよらせる。松尾橋からふじわら堤、渡月橋を経て嵯峨野から宇多野方面へ行く。桂川の景色もはればれとして見渡せば、嵐山からあたご山、保津峡、高雄の粗谷まで、山を重ねて属んで見える。写真を撮影しながら、人覚寺から鳴滴へ向かうのだが、その途すがらに宇多野ユースホステルがある。京都市の施設であるこの青年の家に私の「造型作品」を寄贈して、すでに11年になる。大阪批島屋のいけばな展に出品したものをこの施設に寄附したのだが、全く久し振りにご機婢伺いに行く、といったそんな気持の訪問だった。この写真のように、作品は相当荒れ校様だったが、それでも原型は似みもせず完全に装飾の役目をはたしていた。健康な私の写真とともに皆様へお贈りします。私の作品をて訪れ(宇多野)7 瓢tの花

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