テキスト1979
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のいけばなとして、を活けるのが一般的な習慣となっており、成人式その他、人世の発足を祝う行事の花としてこの若松を活けるのが伝統的な形式となっている。青竹の寸筒を花器として若松を七本、真の花形に入れ、みずぎわに紙を巻き水引をかける。に入れ、真の花形に活け上げた生花は、いかにも儀式的な感じが深い。神前に花を奉る、その思想から紙を巻き水引をかけることが始まったのだ若松は祝意を象徴する儀式の花である。結婚式新年の床飾りとしてこの若松若々しい新鮮な緑の若松を、新しい青竹の花器が、今日では装飾的な意味に考えられるのが一般的で、宗教的な考え方はすでになく祝事の生花としてひろく用いられているのである。まっすぐな雄松七本、生花の真、副、見越、真かこい、みずぎわをひともとに揃えて紙を巻き、金銀の水引を三本又は五本かけて結ぶ。水引の結び方は装飾のすぎない様に品格のある「ともえ結び」にするのが桑原専慶流の定めであり、青竹寸筒を用いる。枝つきの若松を活けることもある。この場合は水引を用いず一種挿しとする。胴、留、控に配置して、真の花形に活け盛花瓶花は考案の花である。基本的な形が定められてはいるが、これは練習のための方針を示すものであって、最終の目標は自らの考案によって新しい考え方を作品にあらわすことである。盛花瓶花の勉強は、自らがどんな考案工夫を作品の中にあらわすかというところにある。形と色調の組み合せ、その技術の美しさ、その作品の中にある感覚、それが大切なのである。したがって形を作るだけに終始してはならない。自分の作意を作品の中にあらわし得るような花、それが大作であろうと小品であろうと、何かをあらわそうとするそんな態度が必要であり、作品の中にそれがあらわれるようなそんな作品を作って欲しい。裕古の花といえども常にそんな考え方が必要なのである。技巧的に俊れているのみでなく、常に考案工夫のある花、それが望ましい。したがって、形を作るという技術と、花材の配合、色彩に対する配慰、花器とのバス、そのいずれにも自分だけの工夫が必要であり、指祁をうけながらその中に自分だけの考えを以って、私だけの作品を作ることを常に考えるのである。瓶花盛花は考案が払礎となるだけに、作者にその気持のあるなしが大切な条件となる。技術は度重なる練習によって上達するが、美術的な発想は個人個人によって差違のあるだけに、習う人達の考え方によって、これが作品に大きな影粋力をもつ。形づくりの技法とともに如何に考えるかというのが瓶花盛花の重要なポイントである。盛花瓶花についてラン杓松3掲載。この若松は12月はじめに活けた。白竹を使っているがこれは青竹を使うのが正しい。水引の結び方はテキスト163号に

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