テキスト1979
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花に活ける。これは十二月初旬に活けた作品である。寒桜は返りばなの桜で一般的に「かんざくら」といわれる。く使われるものだが、紅椿との配合もよい。写真の生花は左勝手行の花形だが右方へ出た副の枝振りに変化があって面白い。枝数少なく淡泊な調子に活けあげたが、真、副、胴とも必要な枝だけそれをよく活かして形づくることを考えた。生花は寒桜(かんざくら)、紅椿の二種を左勝手の生生花の材料として四季の花材の中でも好んで多神社建築に見るような清浄さ、簡潔にして透きとおるような、そんな技巧と気品が望ましい。鍛練を重ねてその上に行きつく技巧、それが望ましいのである。生花を志す人は常に努力を重ねて、その中から真実を掴みとることが大切である。枝の線を美しく揃えること、その中に風雅な感じのあること、バランスのよくとれた花形、副材の椿の花形、主材と副材のしっくりとした識和、いずれにしても優れた技術が必要である。特に生花の場合、足もと(水ぎわ)の技巧が大切である。生花はむずかしいものである。本格的な完全な作品を作るためにはかなり長期の勉強が必要である。足もと(水ぎわ)の揃わないような程度では、美しい生花を作ることは不可能といえる。卒匝にいえば楽しみながら生花を料おうとする、その考え方から問違っている。一週に一回、二時間程度の勉強をやるとしても、一ヶ月八時問である。普通に考えれば一日分にしか当たらない。一年に十二R分の練翌ということになる。その上、四季の花の変化が次々とあらわれてきて、桔占のたびごとに花材が変わっていく。生花はむずかしいものである。そんな研究態度でどうして完全な生花が作れるだろうか。従って私は生花を志す人達に提案したい。よい生花を作るためには、生花の真実の技術を碧得するためには、自らがしっかりとした考え方をもつべきだし、一回の稽古も休むべきではない。自らの努力によって真実の技術を掴みとるのである。したがって生花が楽しくなるということは容易なことではない、といえる。このようにつみ重ねた努力が遂に実を結んで、自らの心の中に自らの技術として、しっかり定秤することになる。私は生花を教えるのだが習う人達の態度に不満をもつことが多い。たとえそれが趣味として習うにしても、美しい技術的な生花を活けられるということは、自分のためにどれほど深い喜びであろう。どうぞ、真剣な態度をもって勉強して欲しい。生花を楽しむのはその後のことである。せいか生花についてかんざくら紅椿2生花

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