テキスト1979
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.‘ .hr |1乗るへい.-. I'CJじ「よく乗っている」という言葉がある。調子よく話が進行すること、調子のよいこと、リズム感のよいこと、いろいろな場合に使われる言葉だが、ことに舞台芸術の場合、音楽舞踊など時間的に進行して行くものには、乗りがよいとか悪いとか、ある場合には「乗りをおさえる」とい, 専渓す言葉でもある。のである。合は相手の素材が植物(花)であり、ここにおいていけばなは造形作品でと」「リズムに乗る」ということが、ったこともあって、どちらかというと日本芸能に多く使われる感覚を示私達のいけばなは、形を作りあげる造形の芸術であって、出来上った作品そのものに問題があり、進行して行くいわゆる制作過程には、深い関係がなさそうに考えられるのだが、実際には一個のいけばなを作りつつある時間のうちに、最後の結果にまで及ほす「調子」が動いている造形芸術の場合はどれもその制作過程においては同じことだ、と一応は考えられるのだが、いけばなの場ある時間内に作り上げるという制約があり、短かい時間のうちに作り上げねば材料が駄目になる、という制約があって、とにかく順序よくすらすらと活け上げてゆく、リズム感というものが絶をず必要なのである。あると同時に、時間的な制約をうける特殊な性格をもつもの、といえるのである。したがっていけばなは制作進行の時間のうちに「調子よく進行するこ大切な考え方であるといえる。舞台芸術と同じように調子よくすらすらと活けてゆくことが大切、ということである。p1の「かきつばたの生花」私はかなり永い年間、舞台に関するいろいろな習いごとを勉強してきたが、その経験からふり返ってみると舞台に出演するものと、観客席の多くの人逹とが―つになって共に融けこめるような、そのようなふんい気が何より大切なことであって、しかも出演者がそれをつくろうとする、いわゆる「悪のり」しないお.. さえが常に必要であることは当然なことである。いけばなとは別の世界の様に思えるのだが、「乗りのよい作品」ということを考えてみると、舞台芸術も造形芸術も期するところは一っだ、といえるのではなかろうか。このテキスト写真の生花の中にその例題をあげることが出来るので、それをとりあげて話してみようと思うのである。掲載の作品写真のうちの「ボケ・椿」、P4の「すかしゅり・フリージァ」紅椿」の四作は花器と花との調和がよく、花形と色彩の配合もうまく行っており、いわゆる調子が一致して乗りのよい作品といえるだろう。花と花器の性格の一致という点からもそれぞれ調和がよい。道具の性質と花材のもつ感じとがよく聞和している、というのみでなく、それぞれの重量感の上から見て、バランスがよいという点もあるだろう。たp3のボケと梧の作品は、花器がp4の「スカシュリと紅色フリー、P3、P7の「白桃.まず、かきつばたの生花は古典的な花器と花台、春日卓とかきつばたの組み合せ、それに花器花台が形の上からみて七割の大きさをもっておるのに対して、この割り合わせに特殊なバランスがあり、同時に日本の花の落粋きと品位が格調を高くしていると思う。ま淡青磁耳付花瓶、広口の香炉型の荘重な感じの腰高花器、花器の口もとを引き立てるために引きしまりのある花形に作りあげたのだが、古雅な中に落若きのある生花である。ジァ」。花器は褐色の信楽焼壺、焼しめの花瓶だがフリージァの足もとを細く作り、みずぎわの技巧について特に注意して仕上げている。の「白桃に紅椿」のは生花として最も必要な清楚さを考えたのだが、花器に対する「乗り」のよい花型である。いずれもうまく入っています、と自画自替で恐縮だが、私の言わんとするのはこれらの作品が、淀みも少なく楽な調子に入っていることである。生花のことであるから華麗さよりも清浄な感覚を考えており、同時にこれらの生花を活けるはじめから充分考え、またねらいを定めてから、意外にすらすらと短時間に活け上げたことである。写真を見ると感花は三割の大きさ、一重切筒。これp7じられると思つのだが、それぞれが祇滞した作品ではない。調子よく進行したものは、花も活きることになり、リズムに乗るようにすべてが順序よく出来上って行く。うるおいを生命とするいけばなには渋滞は禁もつであり、それがためには周到な準備が必要ということになる。準備というのは花器や花材を準備することではない。永い年間にわたって「いけばな」そのものを知る深い準備行動をいうのである。舞台芸術は瞬間にしてうつり変わるものだが、私逹のいけばなもある時間を生命とする芸術である。材料をもった時点では上手に活けようと考えるよりも、すらすらとリズムに乗ることを考えるのである。のびやかに、ひろやかに、美しく楽しい花を活けることが大切である。美しい春の歌を唱いながら、生花を活けることが出来たならば、その作品も当然、リズミカルな生花になるに迩いない。技術もいろいろな種類があるものだが、いずれにしても完全に仕上げるには相当、長期の勉強が必要であって、浅く広く覚えるよりも理想的には一っのことをしっかりと深く研究することが望ましいのだが、普通はまず十年。この程度まで勉強すれば理想的だろう。生花を楽しむのもそれから、ということになる。t.F . 12

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