テキスト1979
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•i .ヽ‘* 、r.5`i疇ーヽ”4t』9jヽ夕ギヘ曇ヽ書ヽ.. ., r 99 ‘`‘ ヽ4r.』.'*q心・ロ・L ℃ f .r,’ 3.{ J" 三月下旬のある日、偶然の機会があって上賀茂神社から少し足をのばして円通寺を訪れたことがあった。思いがけない時間のすきまを利用したようなことだったので、わざわざ打観にゆくのとは迩った思いで、この北山の古い寺院を訪れることが出来たのである。この有名な寺院にある庭園を拝観して、つくづく京都の歴史の中にある景観の重みを愁,‘ ,, 、、一.. 1よ・ぷー.. 専渓じたのだが、ちょうど私が訪問した日は拝観q一実に残念ながらこれは続かず、失敗に終わっ者も少なく、5右い人逹が十数名程度だったのている経験があり、今日、幸せにもこの円通で、京都の観光寺院の雑踏とは迎った静けさ寺において、があり、私にとってまことに幸せな機会だった。有名な石庭に面した広間には寸名程度の11観者が、横ならびに一列に座っている。この仏殿は皇居にゆかりのある殿舎を移建改築したもの、といわれるだけに荘重優雅であり、私逹の座している後方には仏殿があって、その扉より聞枯文英尼公の尊像がうかがえる。私は人の気配さえも感じられないこの列附の中に座って、静寂な中にとけこむような息いに入るのだったが、前面の広縁の向こうには四、五百坪もある笞と石庭があり、さらに椿の生垣にならんで高く桧の並木が立ちならび、はるかに比叡山の四朋ケ岳が見える。私の座っているすぐ隣りに禅宗の僧が人、粗末な黒衣を熟て安座しており、その丞水姿の僧は眼をとじ深い瞑想の境地に入っており、身ゆるぎもしない。心を統一しようとしているのであろう。実に敬皮な姿勢である。この僧を中心として左右に居ならんだ若い人逹も引き入れられた様に静かに座っているのだが。さて、よほど以前のころ、ある機会があって、私も京都妙心寺へ参禅したことがあった。これもその末寺の住戦に花道の友人があって、すすめられて厚顛しくも僧堂へ伺ったのだが、とにかく雑念の多すぎるあなたは、まず心の統一が第一であると教えられ、先決問題として参禅すべしということになって、座禅をくむ形式を教えていただいたのだが、わずかな時間のうちにもこの機会を得たことは、これが契機というものかと、隣りの実水に見苦って私も無念無想の境地へ入って行く。龍安寺の石庭に比較するとこの円通寺の庭は、禅寺の庭らしく装飾性の少ない枯山水だが、静かに見つめていると見るほどに段々と広く大きく感じられ、現実の美しさよりも吏に深く心に浸透する幽玄に、ふれて行がする。じっと心をすましていると、静寂の中に風の動きが必じられ、前方はるかまでつづいている竹薮のゆれる音、やがてその中に鳥の声がきこえてくる。びっと瞬間を破るするどい音、ほうっと嗚<鈍い咀声、右方へなびく風の音、左方へのゆり返し、それがおわるとそのあとはただ静寂。そして前方はるかな比叡山と向かいあうのみである。あの山嶺には四明ケ岳がある。平将門が塁居をはるかに眺めながら政策を考えたといわれる「将門岩」が山頂にあるのだが、今は遊魏施設の中に入って忘れられたようになっている。その左方の山つづきには「きらら坂」。枇JI越から修学院の北方へ降りる難路の柚道である。私の父があの山路でたおれたのだった。私がそのとき同行した息い出の山路だが、あの日は仰木村へ立花を教えに行ったその帰り道だった。それから北へ大原小出石。山を越えて田原、左方の峠道を8キロ歩くと花背峠へ出る。今の季節では紫ばなのつつじも終って、<iLi心いやがて北山桜が咲き、咲き、樹木の中に白いこぶしの花が咲くだろう。修学院の河骨の池、小出石のシャクナゲとシャガの花。私の座禅はやがて山の花にうつり変わって現実にひきもどされる。隣に座っている雲水は少しも動かず木像の様に枡座のままである。一座の連中も同じように動かない。立ち上がったのは私のみだった。玄関の庭にあるすぎて落花している。かな」という占い春の歌を思い出しながら失礼することにした。さて、玄関の沓ぬぎの脇に傘立てが例の如く置かれてあったが、私は思わずこれに目をとめたのだった。金屈や陶器の一般的な趣味のものではなく、古い木のわくに竹を張り、内部は銅板を張ったものだが、この寺の玄関にふさわしい高雅な趣味のものであっただけに、特に印象づけられたのだった。先代の花道の門下に松本慶仙という人があった。茶道具などを作る工芸家だったが、花は立花がすきであり、京都御所に作品をおさめるほどの名エだったが、私の20オころだったので松本老人について廻ることが多かったが、いつも感心することは、いつとはなく訪問先の建築調度の名品をみると、懐ろに用意した画帖と石艇を出して、その型の上から紙に刷りつけ、その型を写しとっていたことであった。思いがけなくも優れた意匠と考案をみるとき、この慶仙老人を息い起こすのである。赤ばなの北山つつじが「わびすけ」の椿が滴開を「おのれと花の散るタ•{ .. , ,,, --;, ,,, -● ● .・ ● ~, ・. ... ・, ■-、_., --. -ヶ会-、・グ;: • ;_中-•'. . , . --~. --,・ 呻,..,.-. r~;, 浴切)'.・ —-曹.,•. .. -・・ 湯雫↓= -_ . ....., 疇ャ勺疇戸ゲ・--~ヽ;・ゞ-・.-:・・、、.•. . -~" , ヽ‘..i, .、-.-(\ (, 一、10 円i通言寺じ

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