テキスト1979
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^ばいもは百合種の淡緑色の草花.で五月に咲く。紅梅の紅色に対して色彩的に調和もよく、日本の花としてともに品格のよい配合といえる。紅梅の形に変化がある。R紅栴ばいもこの花は分量少なく入れるのがよい。床の問の花として五本程度を一種、軽く入れるような小品花が都忘れを引立てることになる。白竹の篭に活けた都忘れ一秤、都忘れ一種c ボケハナショウブ淡紅のボケ、白花の菖蒲の二種。花器は、ソンシャの紫紅色の花瓶である。口広くどっしりとした花瓶にゆったりとした感じに入っている。色彩的に美しい瓶花である。c t、私達のいけばな展を見にこられたある画家の人が、桑原さんの花はローランサンの絵のように色彩が美しく、明るい感じがするとおほめいただいたことがあります。これは過ぎた言葉だと思っておりますが、いけばなには他の美術作品と同じように、技術的に優れているという基礎的な問題とともに、今日のいけばなとして、現代的な感覚が作品の中にある、ということが重要であると山心っております。私達の流旅(いけばなのグルー。フ)には、いけばなを教える、習うという―つの形式がありますが、その目的とするところは、技術の研究と最終的にはそれぞれが、美しい花を活け、技術的にも感覚的にも理想的なよい作品を作ろうとするところに目標をおくわけです。いけばなは優れた形を作る造形の技術とともに、美しい色調と、それらによって生じる作品の感覚、みる人達に与える感動、これに直点をおくことを考えます。もとより、それを計党して作るわけではないが、自分逹が真剣に作りあげた作品が、期せずして見る人逹に感動を与え褐ることになれば、これは喜びとせねばなりません。優れた鑑賞眼をもつ人は、作者の心(作意)を正しく評価出来ましょうし、また作品を通じて心の交流を行ない得るものです。いけはなの装飾性ローランサンの絵の様に美しい、という言葉の中にはその作品の傾向を指摘しているもの、といえますが、ひろく現代のいけばなを見渡してみると、いろいろな性格をもつ優れた作品を見ることが多く、私達は広く種々な作品を見て、その作家達の目標を理解し、それに対する正しい批判をしなければなりません。桑原専慶流の作品は、伝統の形式をがっしり構えた重厚な作品もあり、また反対に軽やかな美しさを考える今日的な作品を作る、そんな楊所も多いのです。作品の形式性格を正しく研究してその必要に応じた作品、を作るということが大切なのです。作品の目標は装飾する場所、その用途、花器、その他によって定まるものですが、例えば日本の仏統を重んずる場所への装飾花として、どんな様式のいけばなが調和するか、現代の新しい様式の装飾花としてどんな花を活けるか、いろいろ考え方があります。花器の場合も同じことがいえます。花器を選んで花を活けるというのが普通ですが、また反対に花器が定っており、それに調和する花を活けるという場合もあります。明る<色彩的な室内装帥としてのいけばなも考えねばなりません。要は、いけばなが室内装飾として、またある場合には室外の装蝕造形としての役目をもっている以上は、いずれの場合にもその場所に適した高度な装飾的役目をはたすのが、いけばなの性格といえましょう。⑧ 11

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