テキスト1979
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生花百事C桑原専慶流生花の本(二五〇この生花図は「生花白市」に収載される作品図です桑原専渓作品と解説カラー作品写真(五0作)専渓画、作品図(色彩図五0点)(印刷。ヘージ)(今秋発行予定)11本写真印刷株式会社)昨春四月の「里桜生花」より始めたこの作品集は、春夏秋冬の作品を撮影、また、同じく四季にわたる生花図を描きつづけて、ようやく一年を経過しました。同時にそれぞれの解説文を約三00枚、書き終ぇましたが、これは編集計画の予定通り進行していることになります。以上でこの本の二00ページまで完了したことになり、いよいよ総説五0ページの執筆に入ります。(専渓)水辺にたれる若葉の柳は春の象徴的な風景である。いけばなにも好んで活ける材料だが、さて、切りとってみると意外にもかさ高く、普通の大きさにおさめることが出来ない。川辺などを散歩しながら見る柳は、かなり距離をおいて見る関係から、比較的、形よく引きしまりのある枝振りのように見えるのだが、近かく寄ってみると意外にも、かさ高く大振りなので計符が違うというのが殆どである。ちょうど手頃の格好のよい柳というのは中々見あたらない。枝をかけ花にするというのは至って楽だが、幹ごと花瓶に活けようと考えると、まず材料の点で困ることになる。一昨年の晩秋のころ楓の紅葉を「生花」に活けたことがあった。紅葉の名所の東福寺へ行き、その附近の庭園に見事な楓をみつけて、さて切ってみると、これが以上の柳と同じく、樹木として見ていると手頃の大きさで引きしまりもあって、花瓶におさめてちょうど適度だと思ったのに、枝をおろして見ると中々大きく、普通の花瓶ではどうにもおさまらない、というほどの大枝で計鍔違いをしたことがあったが、現地で自然に植生しているのをみて、いけばな材料に如何にもよいと考えても、意外に大きすぎるというのが普通である。これも数年前のことだが、比椒山の横川の山中で、立花の材料にすばらしいと思う松を見つけ、仰木の師範者である養覚氏と同行して、て切りとったのはよかったが、高さ五メーター程度の大きさで、二人とも頭上まですっぽり身体の入ってしまう様な大きさに驚いたことがあった私のようによく慣れているものでも、自然の形のよさに、計算違いをすることがよくある。柳など形がよいだけに手頃のものを見つけるのがむずかしい、ということになる。谷をおり111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111 1111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111

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