テキスト1979
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c淡赤色のアマリリス4本、猫柳の大粒の実の配合である。前月号にも書いたが猫柳は洋花とよく調和するもので清新な感じがあり、また季節感の深い材料ともいえる。アマリリスは涵地で万月に咲き、そのころになると花の色彩も美しく、皿猛艶な感じの花である。この写真は三月八日に撮影したものだが、温室咲きのこのアマリリスは雑種の平凡な花で、なんとなくわびしげだが、阻花しているのでどうにか形がよい、という程度である。テッボウユリ、スカシュリ、このアマリリスもc ネコヤナギアマリiリスつぼみのうちは形が悪く変化にも乏しい。派手やかに強い色闊がアマリリスのもち味といえる。葉を添えると平凡になる。花だけ入れて直線の太い花軸が花器に入っているところに形の美しさがあり、猫柳の銀色の大粒との対照もよく調和している。曲線の猫柳の茎とアマリリスの屯なり、左右にひろがった猜柳の形など、ゆったりとした空問をみせて、細い枝ではあるが戯かにひろやかな花形を構成している。椙色の新しい様式の花瓶だが、花によく調和して明るい感じを作りあげていると患う。私は毎日少しの時間をさいて本を読むことにしている。むずかしい学問的な本よりも気軽に読めるような本。随笙、小説の類なのだが、さらりと書いた随筆風の文章の中に、いろいろ教えられるような内容のものが多い。一冊を作るような作家だから文章のうまいのは然当なことだが、いかにも力をこめて書いた本には、時としてその作家の若さ堅さが感じられ、まずページをあけて読みはじめる前に、黒々とした没字がいっぱい並んでいるようなのは、いかにも読みづらい感じのするものである。すでに人世を知りつくした笙者のものは、淡々としてその中にいつしか読者を引き込むような深さを感じさせる。さらりとした文章、気のきいた諷刺などいかにも面白く楽しい。さて、私逹のいけばなでも同じことがいえる。たとえ技術的にうまくとも堅さのあるうちは、ほんとうのものとはいえない。花の自然を巧みに使いこなしてさらりと活け上げた作品。その作品の中から作者の心が感じられるような作品。時間的にも早く活けあげた花には、自然のうるおいと魅力が砥じられ、そのいけばなを見るうちに、いつまでもさりかたい思いのするものである。どの芸術の場合も同じことだか、技術を越えた淡々とした無欲の境地、これが誘明な美を作り出すことになる。古い言葉に「器用は手先で活け、達人は腕で活ける。心で花を活ける様になって、はじめて名作が生れる」というのがある。脱俗の境地というのはいずれの場合もむずかしいものである。7

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