テキスト1979
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カ、,フランス映画でおなじみの「マロニエ」Marronniero。ハリというと、すぐマロニェの街路樹を思いおこす。そのマロニェを日本でみることが意外に少ない。マロニエという言葉はきくのだが、さて、どんな花ですか、というと意外に知らないというのが一般的である。。ハリのドゴール空港におりたって、とにかく見たいと思ったのは、このマロニエの街路樹だった。八月のことだったので、すでに花季が終わっていて、あこがれの花を見ることができなかったのだが、在。ハリ)10日間のうちに見た、リュクサンブール公園、プローニューの森、シャンゼリゼ通りをはじめ、さすがはと思うほどマロニエの樹が多い。マロニエは「とちのき」科の落葉喬木であって、高さ四・五0メーターにも及ぶ樹木である。花は初夏のころに咲き白色に淡紅のぼかしがあり、葉は「手のひら状」の広葉を茂らせる。「セイヨウトチノキ」といわれ、ギリシャ北部の原産の落葉喬木である。昨年5月下旬ごろだった。東京高輪の高松宮御殿にお伺いしたとき、御門を入って車寄せに近いお庭に、このマロニエの花が見事に咲き揃っているのを拝見して、実に感激したのだった。御殿のお庭には広大なバラ園をはじめ、珍しい花木や草花の類が栽培されているのだが、このマロニェの植込みは、全国的にも珍しい花木であるだけに、ことに深い印象をうけたのである。一昨年のヨーロッパ旅行でフランスやイタリアで松の多いのに照いたのと同様に、日本で「トチノキ」はあっても、この「セイヨートチノキ」が意外にも栽培されていないのは、風土の差迩によるものであろう瓶花盛花を活ける場合、まず第一に考えのるは材料の配合である。もちろん花器との関係もあって、あの花器にはどんな花がよいだろうと考える場合もあるのだが、まず普通は花屋へ行って花を買う、ということから出発する場合が多い。花の組み合せが盛花瓶花の出発点ということになると、花屋の店で材料を買うそのときがいちばん大切な時間となる。主材を決めあしらいの草花を添える。大体、そのときにその作品の性格が定まってしまうことになり、花器さえも花材によって定まることになるのだから、とにかく、花を買うそのときが、そのいけばなの大体を定めてしまう瞬間ということになる。好ましい花材があったから、なんとなく買ってきて、それによく調和する花器を選ぷという場合もあるだろう。いずれにしても材料を手にするそのときが大切なときであるということに変わりはない。ところが、なれない人にとっては花を選ぶことは難しいものであっ7月下旬のパリは中秋の気候である。マロニエの葉も紅葉して,午後9時半ごろまでたそがれがつ雑多な材料の中から、活け上がりのて、しかも花屋の店で、しかも種々花材について最も効果的な花を選ぶということは、よほど慣れないとむずかしい、ということになる。毎月、家元で研究会がある。会員が自分の材料をもちよって活け、自分の作品について家元の批評をうけることになるのだが、その場合いちばん問題になるのは材料の配合であって、本当は技術の良否によってその作品が決定する、と思われるのが普通なのに、むしろ材料の配合について、問題になることが多い。材料の配合はもちろん技術の中に入ることではあるが、実際は主として考え方によって作品の結果が左右されるという場合が多い。しかもこの考え方は、材料の配合におうところが多く、しかも花屋で材料を買う人達は、花屋の店で買うときがいちばん大切な瞬問である、ということになる。よい花屋を選ぶこと、常に材料が新鮮で種類を豊かに揃えている花屋、そして花屋という商売が「売れればよい」主義の親切心のない花屋へは出入りしないこと、Lこれが大切である。花屋という材料屋が花を活けるものにとって大切な相手である以上、誠意のない店とは日頃から「おつきあい」しないのが賢明である。(専渓)パリのマロニエ0づく。夜に入ると寒く冬オーバーが欲しくなる。リュクサンプール公園のマロニエ12

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