テキスト1979
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一月に入ってから、京都の窯元で陶器の壷や水盤をとりまぜて四十個ほど買った。かなり感じのよいものがあったので、そのうちの二十個ほどは贈りものとして方々へ差上げたのだが、その中にこの手附のトルコ青の花瓶があった。青色の明るい感じの壺で花うつりもよく、折角、私の家にきた花瓶なので、送別の意味をこめて、一作だけ活けさせていただいたのがこの写真の花器である。陶器師の家へ行くと恐らく数百個と思っほど、新作の花瓶が並んでいる。その中から私の気持にあう花瓶を選択するわけだが、花屋へ行って花材を選ぷのと同じように、いろいろな形のものが沢山あるほど、選択するのがむずかしいもので、私のように永年陶器を買いなれているものは別として、普通の人達が突然と買いに行っても、どれがよいのか迷ってしまうのも当然といえる。とにかく、変型花瓶とでもいうのか、ほめて言えば創作陶器ということになるのだが、若い陶芸家が思いつきのような考え方で、私に言わせれば気障で悪趣味の花器が嫌というほど棚にならんでおり、その中からこれは使える、ということで選び出すのであるます。だから先生私にも買って下さい、とから、実際は中々むずかしい、ということになる。好みというものは人によって違うものであるから、お好きずきで人さまの買うものをとやかくいう必要はないのだが、花の同じ趣味の仕事をする私からみると、これではよい花が入らない、と思つのも当然ということになりよく頼まれるのだが、これにまたその人達の好みがあって、とにかくそのおつきあいはごめん下さい、と無愛想ながらお断わりする次第なのである。五十年近くも花器を買いつづけているのだから、古い美術品程度の道具から新作の掏器まで、そのよしあしがよくわかるようになったし、そのお値段の方も作家の水準と品物の如何によって、ほとんど誤りない程度に理解出来るのだが、とにかく陶器としてもよく、花を活けて調子のよい花器をすぐ見わけるまでは、中々、場なれと経験がいるものである。新作の陶器(花器)を買う場合、筋の通った陶芸家の作品(これをA級とする)その次に無名の人の作品であってもかなりよく出来た作品(B級)数ものといって大量生産的ないわゆる型もの陶器て考えてみる。買う側からいうとよい作品を安く買うというのが理想的だが、そうはうま(C級)この三つに大別し2 陶器を買う話R

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