テキスト1979
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i t3大和下市、電車を降りて洞川(どろがわ)へのバスに乗る。狭い町なかを軒すれすれに通り抜けて、て山へかかって行く。ると川に沿った街道が山と山にかこまれて、大峯へつづく坦々(たんたん)とした道がつづいているのだが、ここで下車した私は、七月の腸ざかりの道をぼたぽたと土ほこりを踏んで歩いてゆく。左方は川をへだてて山がつづいており、段々畑が山頂までつづき「耕して天に至る」という古い言葉にあるように幾十段にも耕作された畑が美しい緑の線を重ねて山頂へつづいている。街道に添うた農協事務所の横にかなり広い木立ちがあって、合の花が群がって咲いている。このあたりは野生の百合の多い土地で、七月の中旬から八月へかけて、トモユリが満開となる季節である。今日は、その野生地を見るためにやって来た私だが、この小さい森の中に、タメトモユリが群がって咲いているのを発見して、思わずその雑草の中へ足を踏み入れたのだった。タメトモユリは親指ほどの太さの茎に花が三十輪もついており、高さ合りやが低い峠を越えここに百タメニメートルほどの上方から花が重なって咲いている。その中に朱色の鬼百合が数十本もあり、さらに「姥百合」の花が、竹叢(むら)の中にわびしげに咲いている。これは栽培の花ではなく、すべて野生の百合なのだが、「姥百合」の野生を見たのは初めてだったので全く珍しい思いをした。芋の葉に似た葉が互生して、茎には二、三輪の青白い花をつけ、なんとなく幽険の感じがある。能にある「山姥」の鬼女を想像するような、暗く凄然とした感じをもつ花である。牧野宦太郎氏の「草木図説」に「ユリ屈ノ一種ナリト雖ドモ同屈中他ノ品種卜異ニシテ其葉阻大葉脈網状ヲ成スヲ以テ甚ダ異状ノ観ヲ呈セリ」とあり、山中に住むあやかしの女を連想して、山姥伝説を一恩深く感じたのであった。(七月二十二日・京都新聞掲戟)私たち花を活けるものは、自然草木の野生の状態を知っておくことが必要なので、出来るだけ機会をつかんで山歩きをし、あるいは河川池沼の水草野草を見て歩く。春の初めの春蘭、岩鏡、岩梨など短い谷の草花から、夏の山草、秋草や紅葉の十一月まで山木の風雅と高山植物を求めて山歩きをすることになるのだが、リュックに花ばさみを入れ、花包みの布類を仕込んで、草の群がりの中に花を見つけると、渓間の急激な斜面に入りこんで行くのである。従って、突然と飛び出す野うさぎの類や思いがけない種類の小動物に出くわす。比良山や吉野、中国山系を歩くとこんなことがかなりある。いやなのはへびの類である。水のある渓流地帯には太く大きいへび、これは木に登っており、樹間を歩いて行くとどさりと音をたてて目の前へ落ちる。保津川の渓谷にはことに多い。吉野山系にはマムシが多いときくのだが、草むらに姿を見せたかと思うと、二、三メートル向こうで六、七十センチもあるのが、ふり返って私をにらみつける。黄かっ色の三角の頭を立てて時々赤い舌を動かせながら飛びかかる姿勢を見せる。こちらも負けじとばかり強気を見せると、やがて草の中へ入って行くのだが気持ちの悪いことおびただしい。四月の末のことだった。昨年と今年の春、ちょうど同じ日に北山桜の残花の咲くころ、花背から歩いて大見へ行く山間部の道、細い山路の下り道に水たまりがあって、そこがかえるの産卵場なのであろう。道いっばいに特大のかえるが百匹ばかり群こ。f ようやく貯地したとき、それががって産卵している。昨年も同じ情景だった。通りかかると一斉に私を威嚇(かく)する上げて通るのだが、蹴り上げられたかえるは、苅白い腹部を見せていかにも気持ちが悪い。その時、百匹あまりのかえるの集団がいっせいに腰を立てて怒りの目をかがやかせて私をにらみつけてくる。没然とした妖気が身に迫る思いがするのである。山を歩くとこんな場而に出くわすことが多い。(七月二十九日・京都新聞掲載)午後九時すぎ羽田を出発したヨーロッパ行きのボーイング機がアンカレジヘ若いたのは午前十時ごろだった。白い5筋が立ちこめていてさむざむとした風景だったが、広茫(ほう)として、いちばんに目についたのはひろびろとした土地を彩るように、紫赤色の草花が咲いていることだっ「ヤナギラン」の花であることがわかった。二年ほど前の八月、長野県の美ケ原へ行ったとき、この「ヤナギラン」の赤紫の花が目のとどくかぎり、いちめんに咲きつづけていたのを見たくつで蹴(け)りが、このアンカレジで、なによりもまず「ヤナギラン」を見つけたのは全く感激であった。昨年の私の旅行はフランス、スイス、ローマの見学だったが、この旅行中にn分の職業柄、ヨーロッパの植物、ことにこの季節に咲く花を見ること、フランスやスイスの花園と栽培の状況、花市場と花屋、またホテルや尚店などにあるいけばなについて、短い期間のうちに見たいと欲ばっていたのだった。スイスのインターラーケンで住宅の庭に植を込まれていた「貿船菊」、これは滋賀県の石山寺の境内に咲く貴船菊と同じで白い花が咲きはじめていたが、なつかしい思いがしたものだった。ローマでの松の多いこと、そして日本と同じように「松咬い虫」にやられた木が多かったこと、全く所変われど悩みは同じだろうとひとしお息いを深くしたのである。スイスのビラトス山の中腹、日本流でいえば四合目あたりの丘陵地帯でふたたび「ヤナギラン」の紫赤色の群落をみたときは、全く「終若駅の彼女」を発見した思いだった。美ヶ原の高原もアンカレジの原野も、アル。フスの山陵も気温と自然環境が一致するのだろうけれど、同じ月に同じ花を見るということに、まことに深い感動をうけたのである。(七月十五日・京都新聞掲載)やなぎらん姥i→→は化なゴヒ自せ12 峠〗百ゅ

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