テキスト1979
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{ ") こ。f 舞台に青島の城塞の校型を作って席の床(イスもともに)がガタガタとゆれるように仕掛けがしてあって、客席そのものが汽車の動揺と同じ感じを出して、汽車に乗りながら列車の進行風景を見るというアイデすです。とにかく、映画館も興行のすから、いろいろな智恵をしばってお客を呼ぼうというわけです。実演と映画との合作、キノドラマなどというのも同じアイデアですが、泥臭いその時代の興行師の見せもの的な感じがあったわけです。舞台には多いときは10人程度の弁士が出演してそれぞれ配役を受けもって声色をしゃべります。娘役もあり殿様役もあるわけです。ときには「さつま琵琶」を鳴らして唄う役柄もあって、伴奏の役目をしたのです。そのころは、第一次世界戦争の頃で、日本も参戦して連合軍側に立ってドイツと戦争をしたころです。中国の青島(チンタオ)のドイツ租借地を日本軍が攻陀したころでしたが、とにかくその実写映画が今のニュースと同じようにいろいろな興行ものにもとり入れられたのです。その中に「コスモボリタン」という名で京極の劇場で開演していまし日本軍の攻撃がはじまり、落城するという光景を10分間程度で見せるのですが、砲撃の状況や猛焼をあげて落城する風景、雷鳴がとどろき稲光が走る状景、やがて日本軍が占領し―つでて東天から太陽がかがやく、といった調子の、これは映画ではなく実演めいた音響、ドンドン。ハン。ハンという音を入れて見せるので、結構面白かった。とにかくこのころの劇場はいつも立見席もいっぱいという盛況だったので、京極あたりの莉店街も午後11時ごろまで人通りが賑かであり、た10分程度のものだったが、映画が私べもの屋もおみやげ屋もおそくまでいっばい、という賑かさであった。私が活動写真というものを見はじめたころは、ようやく劇映画らしい形式のものが始まったころで、一っ達の心の底まで感激を覚えるような芸術となるまでには随分氷い年間をへている。「外人部隊」からジャン11ギャバンの「。ヘペルモコ」「。ハリの屋根の下」、オードリー11へ。フバーンの「ローマの休日」、ジェニファー11ジョーンズの「終若駅」、シャリー11マクレーンの「愛と喝采の日々」、キャサリン11へ9ブバーンの「旅情」など、また最近の「チャン。フ」まで、数々私の見た映画の中でも忘れ得ぬ感動を残した作品であっこ。f 「映画というものはいいものですね」というあの言葉の様に、全く深い感銘をうけるのですし、それはそれなりに深い想い出を残すものです。また、そのころは映画館でも。ハンフレットの美しいものを無料でくれました。それを保存しておくのが私達の楽しみでもあったのです。11 R はまおぎきぶねぎく備前焼水盤赤単弁小菊@

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