テキスト1979
136/151

.` ,m・3 _-i-l-=-l==ll==lu ======l====-I-Il 随筆亭‘.1専渓私の少年時代は京都御所に近い丸太町に住んでいました。この付近は御所関係の公卿華族の邸宅や、そのころまだ残っていた士族の旧邸や大学教授の住宅といった特殊な住宅地苓で、その中に能楽師や花道家書道家などが住んでいるという、いわばお屋敷町の様な静かなたたずまいのある一郭でした。京都御所の東に面した寺町通には油小路伯爵家、高倉子爵家をはじめ棠上窄族の邸宅が、練塀の門を連ねており`同志社の新島襄先生の旧宅など御所に面した寺町丸太町にありました。京都御所の寺町御門を入ると仙洞御所の築地塀が二00メートルほどもつづいて、その南方の広場が外苑になっていた。そのころは今日の様には美しく整備されてはおらず、雑草がのびるまま荒れるままの広場だったので私ども子供の遊び場には打ってつけの野原の様なものでした。明治20年前後にこの苑内で博屁会が開催されたらしく、その建造物の残骸がそのままになっており、コンクリートの残物の廃虚に水溜が出来て蛙に蛇、雑木の群りには狐さえも住むという、た。その草原の中に花を栽培している農家があって春から秋へかけて花畑を耕して生活しているという、今日では考えられない御苑内でした。R水盤株分挿(かぷわけざし)の生花である。淡紅中菊がおもかぶ、白キキョゥの子株迅(ギョドウ)という。っている。花形は大変調子がよいのだが、菊の足もとが少し太すぎるのが欠点であろう,菊は真、真かこい、見越、胴、胴の内部、控、副の七木が入っている。⑪単弁中菊七本の生花である。開花の二輪つきの菊だが、つぼみのないのが花形をなんとなくだらりと見せていてよくない。黄掲色の陶器の壷は菊との調和もよくみずぎわも美しく葉の形もよい。花器の口もとが直立状で花くばりもかけやすいが、陶器なので横くばりが留まりにくい。生花は花台にのせると品格がよい。荒れるままの野原でし中央に空問を作ってこれを魚菊と白桔柾というのが取合せとして変私の七、八オのころだったと思いますが、この花作りの小屋がけの家ヘ花を買いに連れて行ってもらったことがありました。その花屋のおじさんが畑を耕作中で、鍬を振り上げたのが運悪くその後にいた私の頭にあたったので、私の後頭郡がはれあがるという大変なことになったのです。大騒ぎになって、その小屋の台所の流しもとにあったあやしげな塗り薬をつけてもらったのを党えてい\38京都御所I R

元のページ  ../index.html#136

このブックを見る