テキスト1978
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同じ造花といってもいろいろあるが、作られた花には、自然に咲く花にあるようなあのうるおいと、手ざわりの感覚はない。その造花となまの花の中間にあたるような花、ドライフラワーはそんな感じのものではないだろうか。まだ生命のあるものをさかさまにぶらさげて乾燥させるドライフラワーは、人によっては残酷だと感じる人もあると思っが、考えてみると夏のバラなど日持ちもわるく活けてもすぐ枯れてしまう。枯れるからこそ自然の花のよさがあるのだと思ってはみても、活けた次の日には首をたれているような姿をみるとせめてドライにしてでもと思うのも、かえって花を愛することになるのだろう。風のあまりきつくあたらない窓ぎわなどにさかさまにつるしておくだけで簡単にドライフラワーが出来るのだが、何度か作ってみて、この枯ればなの中には、なまの花にはない感覚、面白い色合いなどをみつけ出し、これも―つの花の見方だと思うようになる。現代の新しい流行とは思いながらも、その中に別な意味の花の自然を見る思いがするのである。乾燥させるとなまの時より色が濃くなるので、サーモンビンクやうすいピンクのバラなどがきれいに出来る。ドライフラワー紅色ドラセナドライフラワー(バラ)R大衆的になっているドライフラワーのばらをいけばなに使うのが珍しいというのではないが、この作品は瓶花としてそれにあしらった紅色のドラセナ(これはなまの葉もの)と、ドイツ製の銅器の手附花瓶との調和という点について、面白い感覚があるのでこのテキストに掲載したのである。が、普通の瓶花の形にドライフラワーを使ってあるのもひと味ちがうところがあり、また新鮮に感じられるのである。写真が悪いので充分わかりにくいのだR 濃紫紅色ドラセナ(コルジリーネ・テルミナリス)8

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