テキスト1978
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6月13日午後1時30分より3時30分まで千里・よみうり文化サロンにて講師専渓00年をへた今日まで伝わってきて今日は日本の伝統のいけばなである立花についてお話をいたします。なるべくわかりやすくお話をしたいと息いますが、日本の花の芸術として永い年間、みがきぬかれた技術であり、そのはじめの宰町時代から江戸時代をへて今日にいたるまで、技術的にも形式的にもまことに複雑なものがありますので、ここでは立花といういけばなが、どんな考え方と組み立てをもっているかについて、その要点をなるべくわかりやすくお話してみたいと息います。日本のいけばなは奈良時代から始まっておりますが、いけばなの形式が定まったのは室町に入ってからであります。仏教の影響をうけ仏にそなえまつるという「供えばな」の様式が、やがて床の間に装飾することを目的とする飾りばな、つまりいけばなになったのでありますが、その初期時代の作品は、これは作品などという近代的な言葉も使われることのない時代だと思うのですが、仏前の供えばなの様式を基礎として、その形式をきわめて素朴な形に作りあげたものでありまして、この室町時代の飾り花が「立花」という名をつけられたそのはじめであります。この室町時代に起った立花が、六おり、またこの立花を基礎として生花(せいか)という、立花にくらベると大変のびやかな自然風な花の作り方が考案されたのであります。今日、盛んであります盛花瓶花は明治の後期から「仕活のいけばな」という考え方のもとに、はじまったものでありますが、技術的な立花に比較しますと、くまで生活のいけばな、生活を飾る花をその目標としているのに対して、「立花」は技術的、形式的にも複雑であり、しっかりとした造型的な考えのもとに、重厚な作品を作りあげるという、中々むずかしいものであります。したがって短時間で作ることは出来ませんし、様な努力が必要であるとされております。したがって「立花」というものは大衆的ないけばなではありませんし、だれでも簡単に作れるという、その様な性格のものでもありません。いささか今日の生活に添わないような、そのような重厚な技術をもっているものでありまして、たとえば、絵や書道を習って趣味として楽しむことは一般的に行なわれることでありますが、本格的な芸術作品は中々作り傷ないのと同様に、趣味のいけばなは皆さんがお習いになっているように、まことに入りやすいものでありますが、芸術的な「立花」というと永い年間の努力がないと、今日の盛花瓶花はあ一作ごとに力をつくす完全な作品を作ることがむずかしいのであります。「しろうと芸」「くろうと芸」という言葉があります。たとえば私逹が趣味として「短歌」や「俳旬」をつくることは容容なことでありますが、これが文学としてその内容をもつ、ということになると中々大変なことであり、また思いつくままにかく絵は簡単であってもこれが作品という性格をもつまでは容易なことではありません。謡や舞を習うことは趣味の範囲ですが、舞台での「能」ということになると到底しろうとではおよびもつかない、ということになります。花の場合も同様でありまして、趣味のいけばなは入りやすいのですが「立花」のような技術的、芸術的なものは、いわゆる「くろうと芸」であって「しろうと芸」ではありません。しかし、よく考えてみますと、どんな芸術家にしてもそのはじめは「しろうと」として出発するのであって、永年の刻苦研究によっていつかは大成するものでありますから、皆さんの努力によっては「立花」もやすやすと作ることが出来る、ということを申し添えておきます。ただ、趣味として楽しむか、芸術として完成するかについては、その分岐点というものがありますから、立花の話桑原10

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