テキスト1978
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Rあじさい一種R古銅の壷(四方瓶)に「あじさい」を活ける。6月23日、庭のあじさいは満開をすぎて、すでに色あせた花首が大きく垂れ下がっているのだが、この写真の花は特殊な種類で花首も大きくなく枝振りもしっかりして、生花には形のよい材料である。枝のしっかりしたものを選んで花五顆を入れる。真、副、真かとい、胴、控に五本の花を配置し留は葉の茎を使う。枝振りがよいので足もとも―つに美しくまとめ上げることが出来た。右勝手行の花形である。花器に調和した安定感のある花形。庭に大きい株のアジサイが咲いている。1メーターをはるかに越す高さにのび、大きい花のかたまりが前後左右に垂れ下がって重たげに花首を重ねている。よほど以前のことだった。この大ぶりのアジサイを白磁の大壷に活けたことがあった。今日では洋種のアジサイが多く栽培され、この上の写真にあるように引きしまりのあるアジサイを材料に使うことになったが、そのころは普通の日本種アジサイのみの頃だったので、小さい花形では活けきれるものではない。大きい壷に中腰や立って活けるような大まかな生花を活けたものだった。蓮の生花でもそれと同じように座って活けるような小型のものではなく、座敷で立って活けるのが普通なのだが、この大きい形の生花は活けるものにとっては、なんとなく気持に雄大な覇気が感じられ実に爽快な感じのするものである。丸く大きい花首をどんどんと並べてゆき、その中に奥行深浅をつくる。この上の写真にあるような小型の花ではない。実に壮大な気宇の生花だった。広い会場に陳列して遠い距離からこれを見る気持は、ちょうど一00号の洋画を見るようなそんな大きく厚味のある花であった。最近は生花にも大きい作品がなく、むしろ小品的な手ぎれいな技巧が望まれるようになったが、大作には大作の雄渾な味わいを感じる、俊れた感動があるものである。あじさい、たれやなぎ、楓、孟宗竹などの類は生花瓶花のいずれの場合にも、大きく活けてこそ、その個性が感じられる材料である。2生ド花か

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